バックボーン無し男

僕はごく一般的な中流家庭で育った。


父、母、弟の4人家族で広くはないが一軒家で暮らし、週末はまあまあの確率で外食に行き、小さい頃は家族旅行にも年2〜3回は行っていたように思う。
僕個人で言うと、流行っているおもちゃやゲームは基本的に買ってもらっていたし、大学卒業までの22年間まるっときっちり学費を工面してもらったし、小1のときコンビニまで朝食べるパンを買ってきてほしいとおつかいを頼まれて意気揚々と自転車を走らせて行ったはいいものの、帰り道の段差で自転車が弾んだ影響でカゴに乗せていたパンたちが飛んでちょうど横にあった川に袋ごと全部落ちて泣きながら手ぶらで帰った日も笑って許してもらった。

豪遊できるほど余裕がある家庭ではなかったが、普段から不自由もそこまですることなく育ててもらった。親というのは本当に偉大な存在であると強く思う。



だがそれ故、僕にはいわゆる芸人ならではのバックボーンが全くと言っていいほどない。
「朝ご飯」という概念を知らずに中学まで育った的なあれや、借金取りが毎日家にやってきて終いにはその借金取りからプレゼントをもらうぐらい仲良くなってた的なこれの持ち合わせが本当にない。


人間というのは実に愚かでないものねだりな生き物であり、大きな声では言えないが正直僕はこれらの「家族にまつわるエピソード」が口から手が出るほど欲しい。
「甘ったれてんじゃねぇぞ!こちとら幼少期に嫌な思い死ぬほどして苦汁舐めてきてんだい!それがたまたま今1個のエピソードになってるだけだろうが!おめぇみてぇな温室育ちにおいらの気持ちがわかってたまるかってんだ!べらぼうめ!!」
と江戸っ子に憤怒されたらそれはそれは泣いて謝るしかない。高島屋でフィナンシェあたりを菓子折りとして包む準備もできている。しかし「家族エピ」が欲しいものは欲しいのだ。

かといってとんでも金持ちエピソードがあるかと言われればそれに関しても皆無である。僕の「家族エピ」のフォルダはいくら血眼になって探しても空っぽである。



「俺には何もないのか…」



そう落胆していたその時、僕の前で1つのフォルダが光っていた。



そう、「おとんファンキーエピ」である。


僕の父親は現在60歳前だというのにエヴィスジーンズを好んで履き、地味な色の服を未だ嫌い、外で一緒に歩きたくない格好ランキング9年連続1位を取るような派手な服装をしている。
「そろそろ落ち着いて普通にユナイテッドアローズとかにしたら?てかなんやったらユニクロ着といたらええやん」などという言葉はおそらくガン無視されるだろう。


ただまあ基本的には昔から優しかった。
言葉遣いこそ西のお下劣な部分を集約したような喋り方だが、子供に対しての面倒見は他の親と比べてもだいぶいい方だったと思う。
現に僕たち兄弟は欲しいものはほぼほぼ買い与えられ甘やかされて育った。

しかしひとたび悪いことをして怒らせたときはちゃんとキレられた。もうブチギレ。なんやったら全然手とか出しよる。アメムチが激しすぎる。


婆ちゃんの家でふざけて蛍光灯を割った時、進研ゼミの問題集を答えの冊子を見ながらやってたのがバレた時、小学校の夏祭りで会った友達と喋ってる間に一緒に行ってた弟とはぐれた時、もれなくぶん殴られた。夏祭りに関しては友達も友達のお母さんもおる前でパイプ椅子に叩きつけられた。そりゃあギャン引きよみんな。楽しい楽しいお祭りの最中おじさんが息子にボディースラム決めてるねんもん。


まあしかしながらこれが父親ならではの教育だった。悪いことをしたら痛い目を見るぞという。


その中でも僕が一番記憶に残っている出来事がある。


(次回へ続く)


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