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アメリカに来てから23日間経過

アメリカに着いてから23日間が経った。正直な感想は、「早い、、」。体感では10日間くらいのイメージ。今日までのアメリカ生活をざっくり振り返ると、現地に夕方の5時くらいに着く予定だったのが、飛行機が7時間以上遅延して当日の夜中について、ホテルに駆け込んでなんとか一泊ゆっくりできた。次の日は朝ゆっくり起きて、昼過ぎにチェックアウトして大学の寮に向かって、自分の部屋で荷解き。2日くらい特に何もすることなく寮の空間に体を慣らして、そこから三日間連続で国際留学生のためのオリエンテーションで朝から夕方まで色々キャンパスのこととか治安のこととか、文化のこととか大学にむけてうまく準備ができるように説明を受けて、そんな中でたくさん友達を作った。思えば今仲良くしてる友達はここでできた。オリエンテーションがあった初めの1週間は毎日が休日で、友達とキャンパスを一緒に散歩したり、寮の部屋でみんな集まって酒を飲んだり、おしゃべりしたり、いわゆるハニムーンの期間で周りのこと全てが新鮮で楽しかった。そして、二週目から授業が始まって、毎週課題が多くて月曜から木曜は基本授業と課題で忙しくて、金曜から日曜にかけてちょっと遊ぶ時間ができるみたいなスケジュールになった。授業は明日の月曜から三週目を迎えて、まだ二週目が終わったところで、リズムを掴みつつあるところだけど、まぁ月曜から木曜は勉強を頑張って、金曜と土曜に友達と遊んで、日曜は次の週のクラスの準備みたいな流れなんだろうなって感じてるとこ。

アメリカに来てから3週間で成長を感じられてるのとまだまだだなぁの両方を味わってる。どうせ9ヶ月後にはここを去るから旅の恥は掻き捨てのノリで自分の殻に閉じこもらずに社交的になれてるし、いろんなイベントにも参加してアメリカで与えられた時間を無駄にしないように努力できてて、少しずつ英語の力もついてきた。と同時に、やっぱりまだまだ英語でコミュニケーション取ったり、授業の課題をやったり、授業中に教授の質問に答えたりするまでは力が足りないなと感じる。

noteからMediumへ!

せっかくアメリカに来てるのに、一人黙々と日本語で文章書いてることにちょっぴり罪悪感というか一種の「時間を無駄にしてる」感がある(留学生にあるあるのやつね)
でも英語を使える環境にいながら、こうして大学の図書館でひとり黙って日本語を書いてても英語が成長しないのは事実だから、この日記をこれから英語で書こうを思う。そして、そのためのプラットフォームとして英語版noteみたいなMediumを使う。これまでのnoteと同じように、自分が経験してきたことに対して感じたり考えたりしたことをつらつら書いたり、自分の好きなことについて思うままに言葉にしていくつもり。
Mediumでメアド登録して、Ruiって検索すれば出てきます。

(たぶんあとで苦しくなった時に見返すであろう)自分へのメッセージ?というよりも今感じてること

正直、留学先の大学での勉強は、勉強しにきてるとわかっていても大変でつらい、、毎週合計で(おそらく)100ページ弱くらいリーディングをやって、授業によっては予習のための授業動画を見て、クイズを解いて、授業に必死について行って、グループワークで置いてかれないようにメンバーにだる絡みして行って、時間を隙間でうまく作って、来たる中間試験や期末試験のための復習をする。ぶっちゃけいい成績を取ろうと思ったら友達と遊んでる時間はない。でも自分は交換留学生として勉強しにきてるから、授業でヘマして落とさない限りは単位を編入する上で成績は関係ない。だから、そこをどう捉えて勉強と友達との交流のバランスをどうしていくかは全て自分次第で、そこには「正解」はない。今は、これを建前に友達と遊びまくるのを肯定したい自分と、せっかく日本では学べない貴重な勉強ができてるからそこで踏ん張って頑張れないのはもったいないと自分に言い聞かせる自分もいて、たがいにぶつかって葛藤してる状態。そんな中、うすうすと自分の中の答えは見えてきてはいるんだけどね笑。

イチロー選手が言ってるように、ホリエモンが言ってるように、「周りの人間と比べたってほとんど意味がない。とくにそうすることで悲観的になったり、原動力が削がれたりするならなおさら。焦ったり、不安になったり、緊張したりしたところで、何かが解決するわけでもなんでもないから。あくまで評価基準は昨日までの自分で、そこから1ミリでもちょっぴりつらいこと、苦しいことから逃げずに向き合って、たくさん失敗して、恥ずかしい思いをし続けられるかどうか」

だから、悲観的な思考でわけもなく自分を追い込まないで、目の前にある課題が自分に与えてくれる成長をありがたく感じながら、二度ともどらない時間を大切にして、勇気を出して一歩踏み出していく。
たまにインスタのリールで見るけど、自分が抱えてる悩みや不満って地球の別のところで明日の生活に困っている子どもに比べたら幸せすぎる悩み。地球のまだ自分が行ったことのない見知らぬ場所でチョコレートが何かを知らずにカカオの実の栽培・採取に明け暮れたり、かろうじて飲める泥水のために片道何キロも歩いて水を汲みに行ったりしてる人たちがいる。それに対して自分は紛れもなく恵まれた人間で、新しいことに挑戦して、苦しんで、失敗して、悔しい思い泣きたくなる気持ちになるのは、もはや権利ではなく彼らの存在に対する義務。

これを心に刻んで、能力が高いわけでも、要領が特段いいわけでもないからこそ、昨日の自分をほんの少しでも超えるよう、新しいことに挑戦しながら目の前のことに食らいついていきたい。

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