他者を魅了するために、自らの肉体を美しくし着飾るならば、それは「茨の冠」を差し出していることになる。


肉体の眼で見るために作り出された様々な装身具を見なさい。肉体に引っ掛け、飾り、覆うための装身具や、肉体を楽しませるために作り出された数多くの捧げ物。
これらは「私たちが憎んでいるもの」を美しく見せるために作られたことを思い出しなさい。

私たちはこのような茨を用いて、他者を引き寄せ、他者の肉体の眼を魅了したいのだろうか。それは他者に茨の冠を差し出していることに気づきなさい。
私たちは自身では肉体の正体を認識しないまま、他者がそれを受け入れることによってその肉体の価値についての、自分自身の解釈を正当化しようとしているだけである。
こうしたことは、他者の無価値性を、私たちに示すものとなっている。なぜなら他者がその贈り物を受け入れて喜ぶことが、その者が自分自身に価値を置いていないことを確認させているからだ。

(他者を魅了するために、自らの肉体を美しくし着飾るならば、それは「茨の冠」を差し出していることになる。
私たちは、自分が差し出した肉体を、他者が受け入れることで、自らの肉体の価値についての自分の判断を確認している。だがその肉体は無であるため、それを受け入れ喜ぶならば「喜ぶものは肉体である自分自身に価値を置いていない、無価値だ」と確認することになる。それゆえにその肉体を価値あるものとして受け入れたならば、その者の無価値性が示される。)

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