死とは、「神からの分離が実際に起こりうる」という信念


死は、「神からの分離が実際に起こりうる」という信念である。
死と病気は同じ信念の異なる名前であり、この世界はこの信念(=神から分離しうる)を守り、維持するために作られている。

・死の魅力は、作られた自己概念と、その一部である気晴らしと防衛への魅力です。心が死の魅力に力を与えると、固有の人生を持つリアルな実体を偽装して投影します。

・死が魅力的に見えるのは、怒りや罰を与える「恐ろしい神の代わり」を死が担っているから、死は魅力的に見える。神はそんな存在ではないが、眠ってる心にとっては神から分離したと思っているし、分離した(=攻撃をした)ことで、神から反撃がくることは確実だとも思ってる。この無意識の恐怖を「罰する神」に投影している

・神から自分が分離しているという考え。それは「自分には制御できない原因によって、状態は変化するし、感情は移り変わる」という信念である。また「考えはその源から離れることができる」という誤った信念でもある

・死という考えは様々な形をとるし、それは完全な喜びではないすべての感情に伴うたったひとつの考えである。小さなため息、かすかな不快感さえも死の考えである。(死とは肉体に関することだと思っているかもしれないが、死とは一つの考えにすぎない。)

・一度死が思い違いだと分かると、もはや魅力的ではありません。
エゴを超越することは、不可能を信じることを超越すること。

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