自己概念という、目標と序列の思考体系


自己概念(=目標と序列の思考体系)は、自分が認識し知覚するもの全ての参照点となる。何かを知覚したらそれは「自己概念」にとって、どんな意味があり、どのくらいの価値があるかを問い合わされ、「アニメには力がある」といった意見や、「それはイヤだなあ」という感情として反射される。
いわば自己概念とは、思考体系の一つの構築物である。

自らを「肉体」と考えてるならば、自分は「人」として認識するし、どこにいるの?と聞かれれば肉体のポイント(私はリビングルームにいる)と答えることになる。それは特定の都市、特定の国の人、男性/女性、教育の背景、社会的地位、話す言語などの意味として拡がり続ける。
ここにあるのは、この「自己概念」は特別であることを証明したいので、「他の自己概念」とは異なるように定義したいのである。私の自己と、あなたの自己は違う。あなたと私は別々の人間だというふうに。

だからこそ、対立・葛藤が生まれる。自分と相手の自己概念を異なるものと認識し、「自己概念の構成がお互いに異なること」を重要視するならば、「意見が別れる」ことは必然となる。そのためどちらが正しいか?優れているか?といった争うべきことがあり、何か証明しなければいけない状況が生まれてしまうのである。
これを「当然のこと」として受け入れられれば、他者とつながること/一体感の感覚はすぐに意識から遮断してしまうだろう。

人々が、自分自身(自己概念)について異なる考え方をもち、その違いが強調され、違うことに価値があると思うならば、平安は可能だろうか?
この観点から、心の中に一歩下がって、そんな自己概念という構造物から離れることが、それを手放すことはどんな結果を生み出すだろうか。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?