もしも100年前に生まれていたら…
誰しもが一度は「もしも100年前に生まれていたら?」というイフの世界を想像したことがあるのではないだろうか?
僕も、そんな想像をしたことがある。卒業文集に載っていた質問集の中にも、そんな質問があった覚えがある。そのときに、どんなことを書いたかまでは覚えていないけど。
このnoteを書いている今の2022年なら100年前は1922年。ちょうど大正11年だ。鬼滅の刃の時代になる。
最近になってふと「もしも100年前に生まれていたら…?」と考えたことがあった。ちょっとした暇つぶしのつもりだったはずだ。考えたところで、何かが変わったりするわけでもない。だけど、こういうことを考えるのは楽しい。イフを想像することは、誰もができる手頃な楽しみでもあるだろう。
僕は色々と考えた末に「もしも100年前に生まれていたら…?」というイフに対して、自分なりの答えを出すことができた。
「もしも100年前に生まれていたら?」
「間違いなく、今頃は靖国神社に祀られている。僕は靖国神社にいる」
僕はこう答える。
100年前に生まれていたら、今頃は靖国神社に英霊として祀られていると疑わない。
ちなみに、どうやって英霊になるのかも考えてみた。
僕が考え付いたのは、次の3つだ。
・中国大陸で戦死。
・南方戦線で太平洋に散る。
・戦争末期の神風特攻隊で雲の墓標になる。
これのいづれかであっただろうと思う。
どの道を行っても、戦死は避けられなかっただろう。生きて故郷へ帰ることは無かったと思っている。
だけど、靖国神社で英霊になれるのなら、それでいいと思えた。
僕は昨年の12月に、生まれて初めて靖国神社を訪れ、参拝した。
この国に生を受けた者として、訪れなくてはならないという気持ちが、ずっと前から僕の中に渦巻いていた。その気持ちが実を結び、靖国神社を参拝した時に、僕は「国と民を守るために戦った存在である英霊」に対する敬意を確かに感じた。
もちろんずっと前から、英霊に対して敬意は抱いていたつもりだ。護国神社にも参拝したことがある。しかし、靖国神社を参拝して、自分の中に存在していた「英霊を敬う気持ち」が本物だったのだと感じた。
靖国神社だけではない。アメリカのアーリントン墓地を訪れても、同じ気持ちを抱いただろう。
今も「国と民を守るために戦う」人々は大勢いる。苦しい戦いを強いられていることには、敬意を払っている。
僕は幸いにも、戦うことはしなくていい。だけど、僕も100年前に生まれていたら「国と民を守るために戦う」人々の一員となっていただろう。
無事に故郷へ帰れる人もいる中、戦いの中で帰らぬ人になる人もいる。僕は後者だったに違いない。
失った平和を取り戻すその時は、必ず訪れる。
僕はそう信じて、祈りを捧げ続ける。
味方は大勢いる。
そして、いつか静かな世界に行った時。
僕は国と民を守るために戦った、英霊たちに会いたい。
その時に、もう一度この言葉を伝えたい。
「僕たちの未来のために、ありがとうございました」
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