燕は戻ってこない ちょっと辛口でしかもネタバレありの感想文

相変わらずするするっと読ませる筆力で、読み始めると止まらなくなる中毒性のある物語も健在。とても重いテーマを扱っているのに、そしてそのテーマにこれ以上ない環境で生きる主人公を据えながら、どこか飄々としたユーモラスなやりとりが(かなりブラックユーモアではあるが)物語に、確実にある救いを齎している。怪奇小説や楳図かずおの漫画が、怖いを通り越して思わず笑ってしまう珍妙さをも一緒に運んでくるように。

 物語前半はぐさりと刺さる台詞が多かった。
 私は気になったり気に入ったりした部分のページに付箋を貼り、その文章には蛍光ペンでアンダーラインを引いたりしているのだけれど、noteではあまりしない、その部分を引用しながら感想文のようなものをまとめてみたい。(付箋がちょうど半分程を境にして全く貼られなくなっているのも、読了から少し時間のたった今、見返してみると面白い)

 今回はタイトル(と帯)で大体の話の流れや大体の結末までが分かってしまうのだけれども、想像した以上にテーマは練れていて、作者自身のどの著書とも、ほかの作家のどの著作とも似ていない物語に仕上がっていたと思う(当社比)。
 
 目次の、章のタイトルも秀逸で、私も、もっともっと深くたくさん考えなければならないと刺激を受けた。

・p19
「ずっと値踏みされる人生じゃん」
 テルが吐き捨てるように言った。
(略)
 そんな自助努力とか言われたって、出発点からすでに安く値踏みされるグループに入っているのだから、自分の力だけじゃどうにもならないんだよ。


 非正規の職業・貧困の底での喘ぐような生活。独身女性にとって一昔前の時代なのかと思われるほどの厳しい生活を続ける主人公リキとその友達テル。
 私も上京組で結構長い間の一人暮らし経験を持ち、その間雇用形態は正規だったり非正規だったりして小金持ちだったり貧乏だったりしたので、彼女たちの不安や、生活の苦しさに関しての思考方向というか、思考回路は分かる。
 p19の具体的なエピソードなんて、ちょっと目を潰ってみれば掃いて捨てるほどの記憶がある。だけれども、そこからこの主人公がどう転がっていくのか、とても楽しみになる導入部だった。
(帯に、「OUTから二十五年」などと余計な事が書いてあるので「OUT」を思い出してみたんだけど、あの主人公とは年齢も違うし、なにより人物造形がだいぶ違う。「OUT」の主人公はアウトローでのヒーロー(ヒロインではなく)で、最初から最後まで一本筋が通ったカッコイイ女だったけれども、本作の主人公はヒーローではなくヒロインでも勿論ない。それは、徹頭徹尾自分のことのみ考えている人物だからだと思う。貧困故に社会とのつながりを求める心の余裕もないし、その不自由さが心を蝕む崖っぷちにいる人物のように私には思えた。

・p21
 ロアクテキ。たしかにテルには自棄(やけ)になる一瞬がある。


この、いつ破裂してもおかしくない毎日の生活のつらさと、それを誰も気にしない社会と、呪詛。テルは、昼職の他に風俗の仕事をしてそれでやっと息をつくような生活をしている。本作では付き合っている男が金の無心に来るから、という、わりとちゃんとした、というか説明のつきやすい理由があるのだが、現実でこんな状況下の生活をしている人達のなかには、もっと漠然としたもの(こと)に、少ない給料をつぎ込む(買い物やアルコールやギャンブルにのめり込み、そしてさしたる理由もなくそこから離れようとしない、みたいな)人達がたくさんいるんだろうなぁということは容易に想像出来る。この頃のリキやその周囲にはそんな現実感があった。


・p207
 東京に家も家族もなく、学歴も金もコネもない若い女は、根も葉もない噂にも貶められるのか、とリキは呆れた。しかし、もうどうでもよかった。それほどまでに、貧困に痛めつけられていた。

 本作の大体半分ぐらいのこの箇所が、私が付箋を貼った最後のページだ。ここまでリキは、読者に自分をよく語り、不平等や理不尽に怒るひとだった。
 だが、このあと後半部分が進んでいくにつれ、リキは自分の体のなかに宿った命というもう一人の「人格」に圧倒され、翻弄され、だんだん読者(少なくとも私)には心の裡を容易に見せなくなる。
 本来はここからが、リキの自分との対話の場面となるはずが、人工授精を願い出てきた富裕層の夫婦や、その女友達の春画専門の絵描きなど、賑やかだけれどもそこそこブラックな場面に居場所を得ながら、だけれども、ひとりだけ別の場所で呼吸をしているように私には見える。
 そこに、前半では見えなかった、というかたぶんそんなことを考える余裕のなかった、リキの孤独が見え隠れしだすのだろうと期待した。

 だが、私は後半の、思考の見えにくくなったリキに、いつのまにかあまり興味がなくなってしまった。妊娠が分かってからのリキは、居候先でも何不自由のない生活をし、少し前までの考え方をしていた彼女はもういなくなってしまったのかと寂しくなった。
 貧困のなかで望まない子を出産する若い母親がいる現実のなか、リキの置かれた状況はあまりに(まるで小説のように)恵まれすぎているように私には思える。これで変容しない人間はいない。

 ラストシーンは圧巻で、というか、有無を言わせない終わり方で、また途轍もなく意外でもあり、そうきた? と思った……のだけれども、皮膚のすみずみ血管のひとつひとつにまで染み込んだ、貧困と理不尽という社会に舞い戻ったリキは、果たして(自分の産んだ双子のうちの)一人だけを連れていくようなことをするのだろうかと私は大いに疑問にも思った。リキ、あんた現実が見えなくなっちゃったの? と問いたくなった。

 いずれにしても、金にものを言わせて、子供が欲しいという望みを叶えた夫婦と、彼らのために子供を産んだリキの心との間に盛大なすきま風が吹くのは当然で、だからこそ、リキにはもっと勇ましく、度胸があって生きの良い「ダークヒーロー」でいてほしかった。
 あざといホラー漫画みたいなグロテスクな演出をのぞけば、リキはなんと小さく心弱く、しかも自分で産んだとはいえ、子供を一人だけ連れ去る行動をして守るものを得た彼女は、春画描きのりりこのところで培った、詐欺師まがいの口商売(って言葉があるのか知らんけど)や違法すれすれのことをして、したたかに生きていくのだろう。一度贅沢を覚えた彼女は、もう以前のような暮らしで満足することは出来まい。
  かくして生まれ故郷の元不倫相手のことも、沖縄にいる自分を好いてくれている男のことも、ぼろぼろの雑巾のようになるまで生き血を吸いに吸って次の男に乗り換えていく未来がほんのりと見え、私は、それはそれで暗澹とした気持ちになった。
 何年後かには搾取される側から搾取する側に成り上がっているかもしれない。リキはそんなしたたかな部分を身につけた。というか最初からそういう資質のある女だった、と私は解釈する。頑迷だが、世の中の流れに乗るのは上手くなりそうな女になった、若いリキ。
   泥のような貧困のなかで生きていたリキには会いたいと思うが、残念ながら、一人ではなく子供を連れて去っていったリキの行く末に、さほど興味は覚えないラストだった。

以上です。


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