「真珠とダイヤモンド」(桐野夏生/著)を読んで思ったこと(ネタバレあり、そしてちょびっと辛口だよ)

2023年2月5日発行。しばらく積読してたけど、やっと読んだ。読むのが遅い私にしては驚異的速さの3日間読了。読んでる間はすごく熱中した。だけれども、読了しての感想を問われるとちょっと微妙な雰囲気で…。ちなみに私、桐野作品の大ファンなんです。本当に。

❖簡単なあらすじ ❖
バブル前夜の1986年に、とある証券会社に新卒入社した男女3人を中心として進む物語。未曽有の好景気に浮かれる世の中の狂騒と、巨額なあぶく銭のチカラに乗った3人の運命を描く。
…っていうところかな。

いつもの感想になるけど、つるつるとどんどん読み進めさせられてしまう、作者の筆力には今回も脱帽。で、まあ簡単に言ってしまうと、この物語が証券会社を扱ったものでさえなければ、私も、すごく楽しめたのではないかと思う。

登場人物はキャラが立っていて、一回登場したら忘れられない印象を残す。特に主人公三人(水矢子、佳那、望月)と、カネの擬態みたいな男達の描写は見事。

それを踏まえて、ではなぜ私がイマイチこの物語に乗れなかったのか、たぶんそれは、私が彼らと同じように新卒で入社したのが証券会社元社員だったからっていうのが大きいと思うんだ。

私の入社は1990年。前年暮れに日経平均の最高値をつけてバブルがはじけたばかりの頃。とはいってもまだまだ株式市場は元気で、この小説にもある、いろんな、バブルならではの、というか前時代的な非常識なことがまかり通っていた頃だった。

なぜ私の会社員時代の経験なんかをこの感想文に入れ込もうとしたのかは、他作品では圧倒的な存在感を放つ桐野先生の作品世界の魅力が、この作品でだけはどうにもその光が弱く、それが残念に思えて仕方がないからです。

人間の悪意、業、宿命、溢れるスピード感、タブーに対する挑戦、そして死を描かせたらピカイチの桐野作品から受け取る感動が、今回ばかりは私は受けそこなってしまったようなのです。

そこで思い出話。
金融のなかでも、証券会社の熱気は、ある意味バブル時代を象徴する現象でありモノでした。だけど、私が10年も在籍した某証券会社の90年代は、この小説に書かれている何倍も(悪い意味で)スゴイところでした。たとえば本書にもありますが、女性社員の、朝と三時のお茶くみ、早朝の全員の机を拭く、ガラスの灰皿を洗う、タンツボ(って知ってるかなぁ? タンを吐き出すごみ箱みたいなものがあったのです)の掃除(!!)、なんてのも普通に業務のひとつでした。

私が在籍していた会社は一般の証券会社とはちと違い、個人投資家ではなく証券会社単位で出してくる、ある市場の株取引を仲介・売買する(株価をつけていく)会社でした。
で、当時の株価の付け方ですが、電話で注文を受け、それを伝票に書き起こし、デスクの上を走るベルトコンベアーにぽいっと置きます(電話はすべて録音・必ず顧客の注文内容を復唱)。ベルトコンベアに載せられた伝票はアルバイトさん達の手で銘柄ごとに分けられて担当の端末を操作する社員のデスクに設置された箱に入れられます。担当者は入れられた伝票をすぐさま取って、(ここからが大事)銘柄ごとに扇みたいに広げると、一瞬で画面に表示されたチャートと見比べ、いくらで株価をつけられるか判断するのです。今は全てオンラインで値がつく株式市場ですが、当時は、東証一部の更に花形銘柄は場立ちが、それ以外の株については、こんな人的操作で値がつけられていました。

当然のことながら株価の上がり下がりによる市場の混乱を避けるために、高すぎる買い、安すぎる売りには「気配値」というダミーの値がつけられたり、その日の初値は売り買いが各社平等にいきわたるように、そうでない銘柄については「店合わず」という言葉で、新しい注文が入って初値が決定できるまで値付けを保留したりとか、そんなルールがありました。

人気銘柄の端末を操作する社員の後ろには、オジサン社員たちが四人ぐらいで周りを囲み、電話片手に、自分の『贔屓にしている/されている』証券会社と連絡をとりつつ、社員が扇形に開いて持つ伝票を後ろから見ながら、自分とその証券会社に『得になるように便宜を図る』のです。
つまり、本来電話を受けてから作成する伝票を、そのときに自分で書いて「その買い待った! ○〇証券で〇〇枚買い!!」と叫んで先に値をつけさせたり、ということを平然としていたのです。今なら間違いなくインサイダー取引になる行為ですが、彼らはそれが不正だとも思っていません。
※ちなみにこのオジサンたちは、昔はよくテレビで見かけた、場立ちが押し合いへし合いしながら注文を出すところに居た、茶色とカーキ色が混じったような色の背広を着ていたオジサンたち(たぶん証券取引所の人)が定年退職すると、ウチに天下ってくると言われていました。

前場が始まると同時に鳴りだす電話はワンコール「以内」で出ないと「死ね!」と罵られます。伝票を端末まで持っていくアルバイトさんたちは走っていかないと容赦なく怒鳴られ、端末で実際に伝票の内容を打ち込み、値をつけていく(若い)社員たちは、それこそ悪口雑言の限りを後ろから浴びせられ、それでも平然として次々に値をつけていき、気配値を上げ、店合わずだった初値をつけていきます。
オジサン達からの「〇〇銘柄、今いくら!?」という怒号にも即座に「〇〇円売り、〇〇円買いです!!」と答えられなければなりません。おどおどしているとすぐに「帰れ!!」と怒鳴られます。
とにかく一秒でも早く、一円でも高く、自分の「贔屓する」証券会社に益をもたらすために、場中のフロアは怒鳴り声とそれに答える叫び声と罵声とでまさに戦争のようです。

で、私みたいに、研修中も劣等生で数字オンチで、そもそもこんな騒がしいところで働きたくなかったなんて後悔している新人は、徹底的に貶められ、いじめられ、囃され、馬鹿にされます。
(ちなみに私は当時、小鼻の横に大きなほくろがあったのですが、直属の部長から、毎朝、♪鼻のホクロを取りましょう~♪という歌をわざわざ私の席に来ては大きな声で歌われました。今なら何ハラになるんでしょうね。あ、ただのハラスメントか(笑))

まあちょっと思い出してみただけでこんな感じです。当時社員も、新卒のほかに中途採用者が多く、要するにほかの証券会社で営業していて辞めた人達が殆どだったので、はっきり言って海千山千と言えば聞こえはいいけれど、要するに『悪人』ばかりの職場でした。善人はとっとと辞めていくので。
どんなふうに「悪人」なのかと言うと、例えば街で財布を拾ったとしましょう。中は結構な金額のお金が入っています。彼らは一切の良心の呵責を感じずに「ラッキー!!」と喜んで中身を失敬する人達でした。(実話)

時代もありましたし、モラルハザードな業界であったことは間違いありません。
ですが、本書での相場のやりとりのシーンは、そんなことを思うと、なんだかまだまだ大人しく感じました。
作中では、もっともっと殺伐としていてほしかったし、暴言の飛びかう下品な世界であることがこの業界の特色でもあるかと思うので、そういう状態を『活気のある職場』だと認識している金の亡者たちが描かれていてほしかったなぁと思います。(馬鹿野郎、死ね、なんかは常套句)

バブル崩壊後、山一証券の社長が涙ながらに「社員は悪くありません」と言って頭を下げていましたが、証券業界でこんなことを言う人を、私は初めてみたので、テレビの前でびっくりした覚えがあります。

とにかく金が唸っている会社ではありました(法外な手数料をとっていたから)。私は入社二年目のペーペーの癖にありえないほどのボーナスをいただいて「これでは金銭感覚がおかしくなってしまう」と思ったのを覚えています。とはいえ、バブル崩壊に続く不景気とともに、昇給も賞与の額もどんどん減っていったので、金銭感覚はおかしくならなかったです(笑)。

そんなあの業界の人々の『芯』が描ききれていれば、また違った読後感をもたらしたに違いないと思うのです。

上巻、望月という男が鋭いのか鈍いのか、一定しないと思いました。最初の登場の頃はとにかく気が利かず、相手の気持ちを察することが出来ず、服も野暮ったく…という、とても営業職には向かないと思われる人間像に描かれていて、それが金のためにのしあがっていくところが面白いといえば面白いのですが、下巻の望月の内面の描写が、どうも上巻と少しばかり乖離している気がしました。
下巻で言われるように「口八丁手八丁」が取り柄であるならば、交際範囲も広いだろうし、上巻で語られる人間像とは少し違うのではないかと思いました。
望月は、みんなの嫌われ者→上昇志向といろいろな偶然の積み重ねにより、営業マンとして成功→東京進出→そこから、転落する場が描かれていないため(いきなり転落している)、今度は今まで持ちつ持たれつだった人たちの恨みや怒りを買っている場面がいささか唐突に思われました。
たったひとつのミス、或いはボタンの掛け違い、または慢心から生まれた手抜き仕事、など、転落につながる何らかのエピソードが読みたかったなぁと思いました。

とはいえ、あの衝撃的なプロローグからはじまるこの物語、どうやってあの時間軸に戻すのだろうという一心で、最後のほうはページを捲っていった気がします。

ですが、下巻を読み終えて再び上巻のプロローグへ戻ったとき、違和感を覚えずにはいられませんでした。
p4「水矢子が、テレビや新聞から遠ざかって、二か月が過ぎようとしている」という一文、最初読んだときは、新聞やテレビに載るような有名人なのかと思いました。よく考えてみれば、家をなくしたことのたとえだったのですね。ですが、私はこの一文で、水矢子は後年大層出世したのか?というふうに勘違いしてしまいました…。

この作品は、「OUT」や「グロテスク」の頃のスピード感が陰を潜め、とはいいつつ最近の「燕は戻ってこない」、「日没」、「インドラネット」のような、それまでとは別な世界の描き方をしたのでもなく、非常に中途半端で消化不良の作品だと言わずにはおれません。
桐野作品のファンである自分としては、それでも次回こそ、心に残る一場面と描写を求めています、というところで筆を置きたいと思います。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。







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