「砂に埋もれる犬」/桐野夏生/ネタバレありの感想文
帯にはこれでもかというほど「牢獄」だの「憎悪」だのと言った煽情的な言葉が躍っている。まるで桐野夏生ここにあり、みたいな。それはいい。桐野夏生先生の著作のなかでも、この本は途方もなく異質であるという意味で、「ここにあり」だと思うからだ。
まぁ、私も帯の煽り文句につられて、買って割とすぐに読み始めた方なんだけど、桐野夏生作品の、もっと酷い場面やラストシーンを見てきた私達(と敢えて言うけど)読者にとっては、今回は珍しいハピエンといえるだろう。マジで。
章分けは、4章仕立て。前半2章で母親たち大人に虐待される主人公とその弟を描き、後半では、里親に引き取られ、学校に通うようになった主人公の心中を描き出す。
1・2章は、主人公の優真(ゆうま)・12歳がネグレクト家庭で生き抜くサバイバルと、獰猛で理不尽な痛みを齎す大人達から受けさせられる悲しみを描く。桐野先生の文章は相変わらず読みやすいので、気づくとつるつる読み進めてしまう。優真の置かれた環境は悲惨だが、彼の頭の良さと、外に向けられる興味と行動力から、もしかしたらこの後一気に逆転するのではないか、なんていう、甘すぎる見通しを持ってしまうほどだ。
だが、やがて優真は、母の愛人に酷く殴られ、その顔の傷が元で、児童相談所(児相)に保護され、いきなり安全な世界の住民になることが出来る。ちなみに、彼の弟・篤人(4歳)は、このときから行方が知れなくなり、この小説には、まるで彼の役割は終わったが如く、この後登場することはない。
後半二章は、安全な世界に戻れたはずの優真をとりまく、今度は心の飢えが描かれる。よくも悪くもスピード感抜群だった桐野先生の筆が、優真を顔見知りの近所のコンビニ店長が里親となって引き取り、新生活を送り始めるあたりから、少しだけゆっくりになる、というか、鈍くなる。(ような気がする)
優真と、児相の二人の女性、編入した中学校の同級生達や担任教師など、周囲の人々との間で起こる摩擦に、読んでいるこちらは、手のひらがひりひりするような、昔の傷が疼くような、そんな痛みを覚える(私の場合だけど)
なお、ちょっと気になったところでは、優真本人がコンビニ店長の目加田と再会したときの描写(ーだが、体重は背丈においつかず、ひょろひょろとしている印象だー(p225)と、北中(優真の同級生)の描写(ー手足や背の伸長の速度に、体重が追いつかない感じで、ひょろりとした体型をしているー(p307)が似すぎていて、同じ文章を二度読まされているような気がしたことだ。文庫化されるときには修正されるのかな。してほしいな。結局、どっちがどっちより背が高くて、ひょろりとしている方はどっちなのか、絵が浮かばなかったから。
で、最終章「地層のように感情は積もる」で、優真の母・亜紀の母親(彼女もまた娘の亜紀を虐待してきた)が、がんで余命いくばくもないことが分かったときの描写が、この本で私が最も好きな文章なので、勝手に引用。
「つまりは母親の存在は、荒々しい感情の煮え滾る溶鉱炉のようなもので、亜紀は常に気持ちを乱されるのだった。しかし、気に喰わないけれども、なぜか気にかかってしまう存在でもある」
やはり女性の気持ちを描かせたら大きく頷くしかできないほど的確で瑞々しい表現をなさる桐野先生。この小説の主人公が、もし12歳の女の子の話であったなら、過程・結果は容易に想像つくものではあるけれど、確実にこれまでのものを凌駕する、面白い小説になったことは疑いの余地がない。(と、思う)
だけれども、敢えて12歳の男の子を主人公にもってきたあたりに、私は桐野先生のチャレンジと、今の地位に安住せずに自身を鍛える潔さを見る。何かの新人賞の選考委員をされていたときに出された先生のコメントの「自分の作品を太らせる努力の跡がない作品には興味がない」(←うろ覚え)と言っていらしたのを思い出した。
今回のラストシーンは、これまでの桐野作品とは全然違う、ハッピーエンドである。
でも、これまでの桐野先生の読者様方、決して読後後悔させない内容となっておりますゆえ、ぜひぜひこの長い物語(p494)の感動のラストを味わっていただきたいと思います。うーん今回も層が厚かった!面白かったです!大満足。
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