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感想|『魂のゆくえ』

2022年4月に配信サイトで映画『魂のゆくえ』(出演:イーサン・ホーク、アマンダ・サイフリッド etc.)を見ました。監督は『タクシードライバー』の脚本を担当したことで有名なポール・シュレイダーです。

『魂のゆくえ』では、同じくイーサン・ホーク主演のラブストーリー『Before Sunrise』(1995年)と比べて、主人公が相手と「同じ世界に入る」までに長い時間がかかっています。また、『魂のゆくえ』の主人公は、その代償として大きな受難を引き受けています。この事は分断とdetachmentの時代における他者との距離を反映しているように感じます。物語を振り返ってみましょう。

エルンスト・トラ―(イーサン・ホーク)はNY州北部にある小さな教会Dutch Reform churchの牧師。夜に独りで酒を飲みながら日記を書く以外は特別な趣味や習慣もない孤独な独身中年男。彼の他者との接し方は「触れるなかれ、なお近寄れ」さながらで、私的な領域に周囲の人を決して立ち入らせないどころか、友人からの優しさにさえ応答しない。

黒人を迫害から救うために亡命を手助けした組織The Underground Railroadにかつては参画していたこの教会も今はただの観光名所でしかなく、説教を聞きに来る信者も数名しかいない。一方、最新の設備を備えている近隣の教会Abundant Lifeは信者の数が圧倒的に多く、その250周年記念式典をエルンストの教会でやることになっている。

ある日トラ―は出産を夫のマイケルから反対されていると信者のメアリー(アマンダ・サイフリッド)から相談される。ラディカルな環境保護論者のマイケルは、地球環境が破壊され続けているこの時代に子どもを産んでよいのかという深刻な苦悩を抱えていた。ハル・ハートリー監督の『The Unbelievable Truth』のヒロインの17才の少女オードリー(エイドリアン・シェリー)が、〈核戦争で世界が滅びる可能性から来る恐怖〉と〈思春期の自我の不安定さから来る不安〉が一体化して心を閉ざしたみたいに、マイケルもまた精神の危機が外部の危機に投影され、その重さに押しつぶされそうになっている。

気候危機への不安と自分が父親になることへの不安が一体化してしまっているマイケルとの面談でトラ―は、「赤ん坊の生きる権利を否定する資格は君にも誰にもない」と諭すが、マイケルは自分の心に折り合いがつけられずに後日自殺してしまう。トラーは事件の数日前にマイケルの自宅のガレージでプラスチック爆弾付きのジャケットを発見していたが、彼は警察にその事実を言わずジャケットは自宅に引き取っていた。外側に向けるつもりだった暴力を自分が無効化したからマイケルは自身を滅ぼしたのではないか。トラーは自分を責めるようになり、酒の量が増え、日記の内容は過激になっていく。

生前のマイケルの苦悩をなぞるかのようにトラーの苦悩もまた深まっていき、内なる闇と向き合わざるを得なくなっていく。マイケルを救えなかったこと、戦死で息子を亡くして結婚生活が破綻して妻に去られた過去、胃がんと診断されたこと、教会に大口の献金をしている大手エネルギー企業が甚大な環境破壊をしている事実、その献金が社会的なメンツの維持のためでしかないという矛盾。

「神は全能である」「神の意思は善だ」「この世界は善である」。3つ目のテーゼを反証するような事実を数日間の内に突き付けられてきたトラーは、「この世界はクソだ」と思わざるを得なくなるほど追い詰められていた。もし世界がクソであるなら、「神は全能だが悪意でこの世を創造した」か「善意だけど無能だった」のどちらかということになってしまう。

誰にも言えない神義論的な苦悩を抱え込んだトラーは日記に想いを吐露する。しかし、『タクシードライバー』の主人公が鏡に映る自分との〈閉じた〉会話を通して狂気に囚われていったように、また、アメリカの批評家・小説家のスーザン・ソンタグが日記に「この日記を書いている私はいま生まれてなおしている」と13才のときに書いていたように、日記を書くという行為によってかえって漠然とした不安や考えに明確な輪郭が与えられた結果、トラーはより一層〈開かれ〉から〈閉ざされ〉の引力に抗えなくなってしまうのであった。

250年記念式典の当日。神の全能も神の善意も到底疑うことができないトラーは、もはや殉教者になって世の中を浄化するしかない(クソなこの世界を変えるしかない)と決意を固める。マイケルの遺品である自爆用ジャケットを礼服の中に着込んで教会に向かおうとするが、ここにいないはずのメアリー(出産のため姉のいる州に引っ越していた)が教会に入っていくのを目にして急いで家に引き返す。ジャケットをむしり取るようにして脱いでジャケットに顔を埋めて声が外に漏れないように押し殺した声で叫ぶトラー。その後、鞭身派のような行為に及んだのち、すべてを清算するかのようにトイレ用洗剤をグラスに注いで口元に持って行ったその瞬間、「エルンスト!」と呼ぶ声がした。振り返るとそこにはメアリーが立っていた。

他者の苦痛への眼差し
微笑みによる洞察
落下するグラス
グラスが砕け散る音
交差する視線
抱きしめ合う二人

視線の交わる『Before Sunrise』から、detachmentが制度化された『魂のゆくえ』へ。

鏡の『タクシー・ドライバー』から、
日記の『魂のゆくえ』へ。

孤独が超越系〈閉ざされ〉派の人間を〈暴力による世直し〉に向かわせる。愛が〈暴力による世直し〉を思いとどまらせる。


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