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面白い人生

人は生きていれば歳をとる。
みんな歳をとる。
歳を重ねてきた人も、生まれたときは赤ちゃんだった。ひとつずつ歳を重ねて、おじいさんやおばあさんになる。私は現在おばさんだ。

私が就職したとき、先輩社員が「うわぁ。うちの子どもと同い歳の子が入ってきた。信じられない」とか言っていたが、同じようなセリフを今、私が言っている。順番なのだ。

私は常に現在の私だが、育児をすると過去の自分を思い出すし、親が歳をとってくると未来の自分を思う。若い社会人をみると、あの頃の自分を思い出す。

過去の自分には、もう手が届かない。
自分だけど、自分ではない。

『〇〇世代』というネーミングがある。
いまだと『Z世代』など。
私は何と呼ばれた世代だろうと思って調べてみた。
『バブル世代』から『就職氷河期世代』へ、『新人類』から『団塊ジュニア世代』へと移行した時期だった。そして"不運の世代"と書かれている。
まあ、大きく括るとそうなのだろう。

私が中学校に入学したとき、2年生と3年生は荒れ果てていた。いわゆる校内暴力全盛期だった。田舎だったので、余計そうだったのかもしれない。ヤンキーの世界が繰り広げられていた。先生たちも大変だっただろうが、その他大勢の生徒たちも大変だった。
それでも、まあ穏便に過ごすことができ高校へ進学すると、今度は一気に受験勉強の世界に絡め取られていった。私はなにもかもぼちぼちの生徒だったので、少しずつ自分の世界を広げながら日々を過ごしていた。
先輩に憧れてみたり、好きな音楽を楽しんだり、あとは雑誌『Olive』が大好きだった。自分と全く違うライフスタイルに憧れた。言葉通り夢の世界だった。

大学に進んだのはちょうど平成になった年で、女子大生がもてはやされていた。そんな中、ただただ読書と音楽を楽しみ、散歩をしていた。振り返ると、ちょっと愛おしい。そして、世の中の浮かれ騒ぎは、大学卒業前に終焉を迎えていた。

大学4年の時に、時々挨拶をする程度の知人が「私、そもそも働くことが何なのか分からなくなってきた」と言った言葉が忘れられない。就職活動で行き詰まっていたのだろう。
他人事のように言っているが、私自身はそもそも働く意欲さえなかったのだからより重症かもしれない。
バブルははじけ、トレンディドラマのようなご機嫌な時代は終わったのだ。
おそらく。

私は何もかも他人事だなという気がしてきた。
深刻なこともたくさんあった気もするが、振り返ると他人事だ。そして、辛いことだけでなく楽しいことや奇跡的なこともたくさんあって、割と面白い人生なのかもしれない。

現在を生きる私は、たまに取り乱す。
「あー、もうどうしたらいいか分からない。何でこんなことばっかり起きるのか。」「いつもいつもしんどいことばかり。きりがない。」
けれど、振り返るとそうでもないのだ。
そこにはきっと楽しいことや愉快なことが散りばめられている。
面白い人生なのだ。