伯母の家
我が家には神棚はなかった。うちの両親は神仏にはまるで頼らない人たちだった。
近所の伯母の家に行くと、神棚があった。白い紙の何かや、濃い緑色の葉っぱの枝をきれいに飾ってあった。
子どもの目線だとあまり気づかないような、天井近くの高い位置にある神棚。伯母はどうやってお供えしていたのだろう。伯母は背が低く、一人で暮らしていた。
伯母に夫はいたけれど、仕事の都合でずっと離れて暮らしていた。伯母のひとり息子も、大学へ進学してからずっと離れて暮らしていた。
私は両親が共働きであまりかまってもらえず、さみしかったのだろう。学校が終わると伯母の家に遊びに行くことが多かった。
私の家は古い木造の家で、土間があったり、お風呂も五右衛門風呂だったが、伯母の家は鉄筋というのだろうか、洋風の二階建てだった。それもうれしくて、階段をわけもなく上り降りしていた。
今思うと、伯母はさみしかっただろうな、と思う。お盆とお正月に、夫と子が帰ってくるととてもうれしそうだった。いつもシーンとしている家の中が、明るくなっていた。
そんなふうに、私は伯母とも伯母の家とも縁があったが、ひょんなことから縁がほとんど切れてしまった。そして、伯母が亡くなったときも、私はインフルエンザで寝込んでいたので、葬式にも出られなかった。
あんなにお世話になったのに、そんな結末なのか、と思うけれど、それが現実だ。いろいろあって、伯母の家は今では人手に渡っていて、私はもう、入ることができない。
けれど、時々、思い出す。
日の当たる居間。明るいけれど、シーン…とした静かな部屋。そして、天井近くにあった神棚。ひとりで辛抱強く生きていた伯母。
忘れているようで、忘れていない。