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有無
『古事記』の初っ端のところを読んで、ずーっと頭の中でぐるぐるしていることがある。
「最初の神さまが登場する前には、何もない状態がある」ということ。
もし何も登場しなければ、そもそもない状態もない…のか?
宇宙と神々の規模で考えるから、訳が分からなくなるのだと思い、自分規模に置き換えてみた。
『散歩をしている』という状態があるとして、その前には『散歩をしていない』状態があった。けれど、そもそも散歩をしなかったなら、散歩をしていない状態という特定された状況はないように思える。
そして散歩をしたのは『何となく散歩に行こうかなぁ』という気分や、『面倒くさいけど、誘われたから行こうかな』という状況からかもしれない。
いずれにしても、形のない見えないものが絡み合って現象が起きる。
それはなんて面白いんだろう。
そして、考え始めると際限ない。
『古事記』をじっくり読もうと思ったら、全く前に進まない。
最初の神さまが登場するきっかけに思いを馳せることと、自分の意思決定を重ねてみるのは、畏れ多いことかもしれないけれど、とても理解が深まる。