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サザンオールスターズの時代 # 11

☆ソング ライティング バイ桑田 2️⃣

恋人も濡れる街角 1982.9

タモリに続き中村雅俊からのオファー…だったかどうかは不明だが、中村は2年前にも桑田佳祐の曲♫マーマレードの朝 をリリースしている。
サザンの♫FIVE ROCK SHOW という1曲の中に5曲を次々とメドレーで歌い継ぐと言うエキセントリックなシングル盤で実験をした際の、冒頭1曲目を気に入った中村が桑田に頼んで、そのメロディーをシングル化した曲だったが、その頃のサザンはヒットから見放されて桑田らは"迷いの時期"であったが、そんな時に中村からのオファーは有り難かったに違いない。
が、この♫マーマレードの朝 は中途半端な印象しか残らない残念なバラードとなった。
従ってセールス的にもイマイチだった。

2年経ち中村は♫心の色 でヒットチャートのトップを切る活躍振りを見せていた。
サザンは♫チャコの海岸物語 で復活していたことから桑田の作る歌にも肩に力が入らない桑田の個性が、良い意味で昇華した楽曲となっている。
それが♫恋人も濡れる街角 だ。
サザンの登録商標的エロスと横浜ご当地感が一体となって中村の魅力を引き立たせた。

♫…不思議な恋は女の姿をして 今夜あたり
訪れるさ…

♫…YOKOHAMAじゃ 今
乱れた恋が揺れる 俺とお前の真ん中で…

♫…ああ時折雨の降る 馬車道あたりで待っている もうこのままでいいから 指先で俺をいかせてくれ…

桑田のライター的センスが光る歌詞の抜粋である。
桑田の歌詞はよく指摘される事だが、何を歌っているのか理解不能な事が多々ある。
文脈を追えば桑田の歌詞は逃げてゆく…。
だが、時折フッとニクい程のフレーズが飛び出す。
桑田は小説家ではなくやはり"詩人"なので有ろう。
1984年に出版された「ただの歌詩じゃねえか こんなもん」でいくつかの時代のワードについて聞かれた桑田はこう答えている。

…コピーライター
そんなのが本当にいるのかどうか、ボクは信じられないですね。…いいなアと思いますね、そういう商売って。…

これは、上手いフレーズを考えるだけで商売ができる世のコピーライター達への桑田の最大級の皮肉である。
自分が苦労して辟易しながらも言葉を紡ぎだしながら、もがき苦しみ、世に問うてみればやれ意味不明 だの、日本語の破壊者 だのとクソミソに言われる、これぞ‼️と言うフレーズを編み出しヒットしたところで、世のコピーライターと呼ばれる人間たちが台頭してきて、企業イメージをたったの一言考えただけで高額収入を得る…そんな世の中に対して煮え切らない思いを、桑田は感じていた事で有ろう。
しかし、この80年代前半の桑田にはまだまだ茨の道が続いていた。
固定ファンは付いてはいたものの、ヒットの量産には繋がらなかったからだ。
1983年までのサザンオールスターズのアルバムは6枚リリースされてるが、6枚目のアルバム「綺麗」ではそれまでのアコースティックバンド然とした音色から電子楽器への移行が確認できる。
先行してリリースしたアルバムも後からリリースしたシングルも共に奮わず、再び低迷か…と思わせたが翌年1984年に世に問うたアルバム「人気者でいこう」は130万枚を超える大ヒットを記録、サザンのロングランの出発点となった記念碑的作品となった。

そんな大ヒットを飛ばす直前の1983〜84年にかけて桑田はかつてないほどの他人への曲提供数が、最も多い時期を迎えることになるのだが、それはまた別のお話。
一先ず本日はコチラをお聴きいただこう。

https://youtu.be/0nhWPX0vLx0

中村雅俊の♫恋人も濡れる街角は↑ココをタップする

https://youtu.be/3v2Geu5UrT8

中村雅俊のカップリングも桑田佳祐が手掛けた。
♫ナカムラエレキ音頭 は↑ココをタップする

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