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絵、燃やしてみた

最近の私はというと、自分で描いた絵を燃やしている。


これだけしか書かないと、殆どの人が 勿体無い、とか物騒な、とか思うだろう。

なので、この行動に至った経緯を書いてみる。


私は2016年に初めて個展を開催し、それ以降は最低年に一回は、多い年は大小合わせて四、五回くらい、展覧会を行ってきた。

基本的に画廊での展示で、作品は全て販売している。

で、毎回毎回必ず全ての絵が売れて、完売となるのが理想ではあるが…、

どうしても売れ残ってしまうものが、いくらかは存在する。

何年もせっせと描き続けてきたわけなので、今振り返るとそれはある程度の数になっている。

たまにアトリエの整理をしたりすると、昔の作品が出てきて、愕然とする事があった。

「こんな下手くそな絵を、画廊に展示してしまい、そして人様に晒していたのか…」と。

そしてもう二度と見たくないからと、また部屋の奥深くにそっとしまい込む。

これは数年前までのお話。


今は違う。

あの頃、凄い必死で描いてたんだなぁ、と感慨深い気持ちで過去の絵たちを鑑賞し、愛おしいなぁ、という気持ちでほっこりする。

で、今の私はあの頃より随分技術的に成長したもんだ、と驚いて自画自賛する。

それと同時に、まだ稚拙だった昔の自分が描いた作品を、欲しいと言って買ってくれていたたくさんの方々への、不思議な感情が芽生える。

上手く言葉に出来ないのだけれど、心からのありがとうの気持ちと、胸が暖かくなる気持ちと、懐の大きさを感じずにはいられない。

この感情を知れただけで充分すぎるくらい、売れ残った絵の価値は体感した。

そして、私の記憶の奥底に完全に埋め込まれた。


物体として存在していても、存在していなくても、同じだと感じた。

制作する事自体、絵を描く事自体の過程そのものが楽しいので、それを味わうためには物体としての作品はどうしても必要になる。


美しい風景を見たり、刺激的な音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり、心地よい香りに包まれたり、柔らかなものに触れたり。

五感を使って、この身体を使って得たすべての感覚が混ざって、絵の中に投影されてゆく。

パレットの上でオイルと絵の具を混ぜ、板に筆を滑らせる。

私の手を使って。

物体の無い世界では、出来ない事だろう、きっと。

(もしかしたら別の方法で同じような事が出来るのかも知れないけれど)

絵に限らず、何かをゆっくりと作り上げてゆく作業は、物質のあるこの現実世界での醍醐味だと思う。

だから、その作業を楽しんでいる。

(たまに気が遠くなって辛くなることもあるけど…)


そして遂に絵が完成し、画廊で日の目を浴びる日が来て、それでもしばらくどうしても貰い手が現れなかった時には、作り手の立場的にはもうその絵の役割は終えたと感じる。

充分楽しませてもらったのだ。

だから燃やす。



とはいえせっかく描いた作品を燃やしてしまうなんて、自分の作品に対して愛情が無いのか、とか言われる事があるかもしれないので、先に答えておく。




愛が深すぎて、もう実体が無くたって愛せるから。



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逃避行 (ショパンと共に)

燃える絵
「逃避行 ショパンと共に」
個人蔵


絵を包み込む炎がとても美しかったので、作品を燃やしている映像を、YouTubeにアップしています。

※音量注意、波の音が非常に大きいです

炎が生きているみたい。

基本的には全焼がメインですが、あえて半焼させて残す絵も有り。

燃やす事で逆に新しい形になるので、新たな作品として展示しています。


それと、新作をすぐに燃やしたりはしません。

作品をきちんと多くの方にご鑑賞いただける事が一番の希望なので、一定期間は個展やグループ展等に出品しています。


最新の活動スケジュールは澁谷瑠璃webサイト、SNSをご覧ください。

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