金原ひとみ『蛇にピアス』読書感想文

本書は映画版を少し前に観たため、映画版キャストの顔が読んでいる中でありありとイメージされ、先に派生版に目を通すことの危険性が自分の中で示唆された…
とりあえず余韻がすごいのでそれを整理するように書き殴った感想文を述べていく。機会があればまた読み直したいと思うが結構重かったので再読の腰は重い予感。


この本のすごいところ

あくまでも読者が読めるのは「語り手の主観から通した世界のみ」という小説の持ち味を最大限に活かしている
例 ルイのセリフ→孤児に見えるみたいだが、親子関係に問題はない、埼玉に住んでる「んじゃないかな」←一般的に、親子関係に問題がない未成年は親の居住地を断定できるため、主人公ルイは主観的に見ると親子関係に問題がないが、客観的に見ると親子関係に問題があるといえること など

この本から導ける主題

体に傷を入れることは所有欲の現れ
主観という幻想の中で生きる人間たち


伏線

ルイのM→所有されたい→親に満足に所有されなかったことが関係している?など

以下感想文(殴り書き)
覚書程度のものです

憧れを所有したいという気持ち、部位に憧れを持っていた男にベタ惚れされる女はその男を所有した気になるが、所有していなかったこと(後半でアマがいなくなり捕まったのかもしれないことよりも、アマが自分に何も告げずにいなくなったことにショックを感じているルイ)を実感する しかしその後その男の死を知り、ルイはアマに非所有↔︎所有の枠を超え、なおかつそのどちらでもない「存在の消滅」を認識し、上記で感じた「非所有」の事実をも消し去ることが可能になる。その後アマとの愛の証であった歯を砕き飲み込むことでルイはアマを「所有」(同一化)することを再達成する。その後さらに憧れであったアマの部位であるスプリットタンと、同じく憧れであったアマとシバの「コラボ」のタトゥーをも自分の身体に完成させるルイはその姿に全ての憧れの「所有」(同一化)をみたところでなんだか前向きに生きようというメッセージ性を含めたように感じられながら物語は最終ページを迎えるが、個人的に結局全てを所有したのはシバであったように思う。シバがアマを殺し、その後シバがルイを所有することに成功したことはシバが任意の者を思い通りに動かせる「神のような」支配者であることを示唆することはもちろん、それに気付きながらもアマの暴力団との事件の時のアフターフォロー同様、シバの外見を変えさせることで「警察から匿う」ルイの姿はシバを所有しているようで、シバの所有の下に置かれているからこその慈悲であるからだ。
個人的には結局この物語を「所有」と恋愛の論を繰り広げるものではなく、人間が必ず持つ主観というメガネの脆弱性と危険性を表したものだと感じた。
例えばこの物語の重要なキーワードとなった「所有」だが、生活の中で所有している、所有されている、の概念は本当に存在するのだろうか。人間関係の中でも主従関係が存在していて、主従関係は所有と被所有と通づるものがあると考えられるが、それを存在していないと考える人の中では当然存在していない。「見なければ、見えない」私たちは主観というメガネの中で生活を送っていて、それは一生自分が自分である限り何があっても外れることがないという当たり前のことが提示される。誰が所有されていて、誰が誰を所有しているか。見えない概念は曖昧で、主観的なものでしかない。私たちは生活の中で、そのような自分だけのメガネの中での見えない概念に囚われすぎているのかもしれない。




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