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#3 自分が働けなくなるなんて思いもしなかった③

2021.10.01ー

 職場という環境から切り離された闘病生活が始まりました。

 毎週心療内科と耳鼻科に通い、心療内科では体調の変化だったり、困ったことを話して、耳鼻科では、聞こえの検査とふらつきの検査をしていました。

 この頃のお薬は、心療内科で三種類、耳鼻科で三種類、産婦人科で一種類の薬を飲んでいました。

 自分で感情のコントロールが出来ず、子どものようにわんわん泣いてしまうことも多くなりました。

 無気力の状態から、心は元気なくて体が元気な状態になると、希死念慮により行動してしまう、してしまいそうになることが増え、主治医の先生からも「入院しますか?」と言われたこともありました。

 ありがたいことに、精神科で働いたことがある彼のおかげで、自宅療養でもサポートが十分となり、入院はしませんでした。

 父も母も昔から私の意思を尊重してくれる人なので、専門的なことが分からないなりに、私のことを理解しようと動いてくれました。

 ただ、祖父は「昭和のおじいちゃん」なので、精神疾患は「甘えだ。」というようなところがあり、「いつになったら働くんだ?」というような、うつ病を患っている人に禁句ワードを沢山かけられ、現在進行形で、主治医からは、「物理的距離を取ってください。」と、言われています。

 体にも心にも余裕が出てくると、「何もできない自分」がすごくストレスで、家中なにかできることはないかと、動き回っていました。

 洗濯物を取り込んだり、洗濯物を畳んだり、洗濯物を片付けたり、少しの家事を頑張っただけで、爆発してしまい、「もう嫌だ。」と泣き喚いてしまうことが多く、何かを頑張ってしまうとその反動で、何も出来なくなる、何も食べれなくなる、会話ができなくなる、表情が暗くなる、という症状が出てしまいます。

 とにかく今の状態から「逃げたい」思いが強くて、いきなり家を飛び出してしまったり、希死念慮から行動に移してしまうことも多い時期がありました。

 上記のような波がゆるく10月から2月頃まで続きました。

 その中で、「大きな音」への恐怖が出てきて、「雨戸を開ける音」「車の運転音」「テレビの音」「サイレン」に対して拒絶反応が出てしまい、2月中はAirPodsのノイズキャンセリングが大活躍でした。

 もちろん、通院以外出かけることはできず、飼っている亀のお世話をしたり、亀を眺めたり、空を眺めたり、ゆったりのんびりする時間が増えていきました。

 2月に入ってからは、回転性のめまいやふらつきがなくなり、薬を飲まなくても生活できるようになりました。一時期、「立てない」「歩けない」ほど辛かったので、メニエール病の治療が終わっただけでも、ストレス半減になりました。

 2月に入ってから、私は大きなチャレンジをしました。それは、「障害年金」へのチャレンジです。しかし、自分ではどうも動くことができず、専門の社労士さんにお願いすることにしました。

 社労士さんとの打ち合わせは、電話で1時間でした。社労士さんから、質問され「はい」か「いいえ」で答えることが多い打ち合わせでした。打ち合わせの後半は、頭が働かず、正直何を伝えたいのか、何を話したか覚えていません。

 その打ち合わせで“たった1時間”話しただけで、私にとっては本当に大きなダメージになってしまい、打ち合わせの夜から反動がきてしまって、「お風呂に入れない」「食事もとれない」「誰とも話せない」というような無気力状態になり、追い詰められてしまったような気持ちになり涙が止まらなくなってしまいました。

 「たった1時間頑張っただけで、私はこんなにもストレスに感じてしまうのか。」と、分かることができたので、それからはゆったりまったり過ごす時間を増やし、「できるかな?」と、思ったことでも先延ばしするようにしました。

 ゆったりまったりした時間がとてもよかったのか、3月に入ってからもだいぶ落ち着いて生活が送れています。

 本当に自分が働けなくなるなんて思いもしなかったです。

 未だに主治医からは、「小さなことでもストレスに感じるので、就労はまだ数ヶ月は先延ばしと考えてください。」と、言われています。

 まずは、自分の頭と心と体の立て直しをゆったりまったりしていきたいと思います。


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