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【番外編という名の自分の気持ちを整理】正社員を退職してワーホリをした理由

こんにちは。
最近の投稿ではずっとタイ人の話しかしていませんでしたが、今回は番外編という名の自分の思考の記録として、ワーホリを決断するまでの気持ちの変化について書こうと思います。

【ワーホリ決断前】超充実しまくり会社員時代

学生の頃、4社の企業で長期インターン同時並行という、何かヤバい薬でもやってたのかというえげつないバイタリティを発揮していた経験を買ってくれ、新卒で上場ミドルベンチャーのゲーム会社からスカウトされ、新卒入社しました。

そこから丸3年間、人事企画として新卒周りの業務全般を担当しました。
内定者のフォロー、入社・研修運営・配属、2年目を安心して迎えられるための一式のサポートや組織開発をやりました。

仕事自体は休職手前くらいヤバい時代もあったりしましたが()、手を挙げればいろんなことに挑戦できる環境と、私を信頼してくれる最高のボスにも出会え、この会社でファーストキャリアを歩めたことに何も後悔はありません。

人事というポジションだからこそ、常に上場企業の方針を決める経営層と間近に関われるという素敵な経験を1年目からできたことも本当に貴重でした。

地頭も悪く手のかかる私を新卒として迎え入れていただけたことに本当に感謝しています。

そんなこんなで3年間社会人としてやってきたわけですが、仕事もプライベートもありがたいことに超充実してきました。
学生時代の同級生に比べて比較的良いお給料をもらい、好きな町で素敵な家に住み、平日も休日も遊んでくれる友達がいて、毎日予定でパンパンの日々でした。

(リアルに何も予定ない日は1ヶ月に2日とかしかありませんでした)

ただ、その中でなんとなく本当の意味で自分の心は豊かになっていない感覚もありました。

そんな生活の中で、ふとこの先自分がどうなっていくのかと考えた時、
「似たような業界・職種の会社に転職して、自分と似たような人と結婚して、子供ができたらどうせ郊外にマンションとか買って暮らすのかなあ」と思った時、20代半ばにして自分の人生が簡単に想像できてしまったことになんだかすごくゾッとしたことを覚えています。

その瞬間、今の”想定できるような困難しか起こらないであろう環境”にもどんどん刺激を感じられなくなっていきました。

この良くも悪くも”快適すぎる”環境にこのまま身を置き続けるのはまずいかもしれない。

社会人としても人としても、この成長曲線が寝てしまっている状況から抜け出さなきゃ。

ということでまずは環境を変えようと思いました。
ただ、保守的な私のことだから、転職をしようにも日本国内で転職するとなるとどうせ自分の勝負できる畑しか無意識に選ばないんだろうなあとも思いました。

その中で、そもそもIT業界に身を置くのか?人事なのか?そもそも正社員じゃなきゃダメなのか?ていうか日本でいいのか?

もういろんなことを全部崩して考えたい!!!と思うようになりました。

そして、自分がこの先ありたい姿って何なのか、今決めることができないのであれば、
それは判断するための情報や経験が足りていないからだと思いました。

その情報や経験を得るために出てきた選択肢が海外留学です。

学生時代や会社員時代に出会ってきた人の中で、海外にバックグラウンドを持つ人とも交流をしたことがあるのですが、みんな揃って本当に考え方が素敵でした。

みんな「周りがこうだから」「状況的にこうした方がいいから」ではなく、「私がこうしたいからこうする、だって私の人生だし!」という軸で生きてるなあと。
言葉で言うのは簡単ですが、日本人って意外とこういう考え持ててる人少ないと思います。

他人じゃなく、組織じゃなく、自分の軸で生きているかっこよさにすごく惹かれ、私もそんな考えを持ちたいと思いました。
そして、先述した”本当の意味で自分の心は豊かになっていない感覚”も、少しは変わったらいいなという気持ちも。

いろんな国籍、宗教、考え方の人ともっとたくさん関わって彼らのいろんな考えを吸収したい!
そんな思いの結果、海外留学を決めました。

ただ、そこには1つ大問題があります。

そうです、英語です。
わたし、まじで何も話せません。

大学こそ出れましたが、ほぼ国語と日本史のヤマが当たって受かったようなものです。

英語は私のコンプレックスの1つで、
高校生の時、母と旅行で新幹線のホームにいた時、1人の外国人男性にホームがわからないと声をかけられました。

ただその時の私は何も答えることができず、母と2人で「Sorry」と言うことしかできませんでした。
もう10年近く前の話ですが、いまだに「あの人は無事新幹線に乗れたのか、私が助けてあげられたらよかった」とずっと後悔しています。

だからこそ、あのとき助けてあげられなかったからこそ、いつか同じように困っている外国人を見た時に助けてあげられる人になりたいと強く思っていました。

長くなりましたが、そんなこんなで
・快適な環境からの脱却
・経験と多様な価値観のインプット
・英語への嫌悪感克服

大きくこの3つの考えから、海外で暮らす経験を得ることを決めました。

ここまで書いて文字が2,000字超えたことが発覚したので、
続きはまた更新します。

どこの誰とも知らない女のつたない2,000字をここまで読んでくれて本当にありがとうございます。励みになります。

ではまた!