運命に愛された女院【建春門院の話・1】
鎌倉時代初期に健御前が記した古典作品『たまきはる』の一部を漫画化してご紹介します。
今回は後白河院の妃・建春門院にまつわるお話です。
*原作『たまきはる』(健御前 著/使用テキスト:岩波書店 刊 新日本古典文学大系 50『とはずがたり・たまきはる』 )
*同じ『たまきはる』から、鳥羽天皇皇女・八条院の登場部分を漫画化した記事はこちら↓
八条院の記事にも書きましたが、『たまきはる』には三人の女院が登場します。
鳥羽天皇皇女・八条院、後鳥羽天皇皇女・春華門院、そして今回取り上げた後白河天皇妃・建春門院です。
これらの高貴な女性たちの素顔や、生の言動を知ることができるのも、この作品の魅力のひとつです。
さて、上の系図からもわかるように、建春門院・滋子は平氏出身であり、平清盛の義妹に当たる女性です(清盛の妻・時子が、建春門院の実姉)。
このため、建春門院は夫である後白河院と清盛の関係を良好に保つバランサーとして、大きな役割を果たしました。
彼女が35歳の若さで亡くなると両者の関係は急速に悪化し、世の中は源平の争乱に巻き込まれていきます。
『たまきはる』作者の健御前は、その変化を目の当たりにしながら生きました。
「かつての平穏な日々は、建春門院の賢明さによって保たれていた」という言葉には、彼女の実感が籠められています。
生前は、後白河院の寵愛を一身に集めていた建春門院。
『たまきはる』で語られる彼女は美しい上に気配り上手な、理想の女性といった感じ。そしてバランス感覚も絶妙です。
締めるところはしっかり締めつつ、たまにお茶目だったり、ちょっと緩んだような部分も見せるので、作者の健御前も、建春門院の魅力にはメロメロ(死語)です。
特に印象的な場面のひとつが、今回の漫画中にも取り上げた、とある夏の日の、何気ない女院の姿です。
昼寝からふっと目覚めた女院が「暑や」とこぼして、胸元を引き開けて扇で風を送る、しどけない姿。
「それはそれは匂い立つようにお綺麗な横顔の、言いようないほど白い肌。はらはらとこぼれかかった前髪の隙間からは、その真っ白な肌がのぞき、色合いが映えて見えた様子などは、未だかつて、同じような方を見たことがありません」
原作にはこんな風にも書かれています。
実際の女院を間近で見た人間だからこそ書ける表現です。
なお、細かいことですが建春門院はふだん、白い袴を穿いていたのではないか、との説が使用した岩波書店のテキストの注釈にあったので、絵もそのようにしてみました。白い袴は女院など、一部の特別な人だけが穿くことを許される禁制の服だったようです。
ちなみに同じく女院である八条院は赤袴派。
「白い袴の汚れたのは見映えがしないし、真っ白な綺麗な袴も、それはそれで目に立ってうっとうしい」ため、あまり好きではなかったようです。
前回の漫画でご紹介したように、八条院御所は掃除が行き届いてなかったようなので、そのせいもあるのかも。塵が積もっている廊下を白袴で歩いたら大変なことになってしまいそうです。
ちなみに建春門院の御所では食事時以外は食べ物などは置かず、女院の身のまわりに普段あるのは筆記用具くらい。しっかりした女房がいて常に目を光らせているため、女房たちの私室もいつもきちんと整頓され、下仕えの者が働く台所に至るまで綺麗だったと、『たまきはる』には書かれています。
このお二人の女院はいろんな面で真逆で実に面白いです。
『たまきはる』が書かれたのは建春門院が亡くなってから数十年が経過したころ。
かなり時間が経っていたため、作者も比較的冷静に振り返ることができたのか、建春門院にまつわる記事は、ほか二人の女院よりも圧倒的に分量が多いです。
その中には魅力的なエピソードもまだまだたくさん掲載されていますので、今後も少しずつご紹介していきたいと思います。
まだ登場していない三人めの女院、春華門院の話もそのうちぜひ描きたい。
とはいえ、すべてを漫画化するのは無理なので、この作品に興味を持たれた方は、原作にも是非触れていただきたいです。
八条院篇でも書いたように、『たまきはる』の現代語訳は今のところ出版されていません。
岩波書店の『とはずがたり たまきはる』(新・日本古典文学大系50)で注釈付きの原文が読めるくらいですが、わかる部分だけの拾い読みでも、この時代に興味がある方ならきっと楽しめると思います。
サポートのご検討ありがとうございます。 お志は古典関連の本や、資料の購入に使わせていただきます。