ばばあもどきの日常と非日常 その5「差別のこと②」

今回は、前回の続きです。
前回は、自分の性自認・性指向によって、
まだなんの差別も受けていなかった、或いは受けていてもそれと気付いていなかった時代の話でした。

高校生になると、周りから「こいつ、なんか違う」という目で見られることが増えてきました。
因みに高校は女子校です。
当時、地方では、進学校は男子校と女子校に分かれている、というのがよくあったのです。
私は中身が少年だったので、女子校になんか通っても馴染める気がせず、
共学の高校に行きたいと親や先生に何度も頼みましたが、
その地域では、ある一定以上の偏差値の生徒は有無を言わせずその男子校か女子校に入る、みたいな不文律があったので、
私もその女子校に入れられて、まんまと不登校になりました。
(不登校になった理由はそれだけではないのですが)

「中身が男なんだから、女子校に入学したらハーレム状態でウハウハだろう」と思う人がいるかも知れませんが、
それは大きな誤解です。
毎日、女の制服(しかも昭和の田舎だから超絶ダサい)を着て登校して、
服だけではなく身体も女の形をした容れ物で、
「ナンデオイラコンナトコロニイルンダロ?」と思いながら
日々を過ごしていました。

今でも思い出すと苦しくなる時代のこと


大学生になった私は、社会派系のサークルに入り、そこから政治的な活動に関わるようになりました。
ずっとその活動を続けていこうと思っていたにも拘らず、一緒に活動していた女の同志を好きになってしまったことで、
組織のメンバーとして相応しくないと言われ、追放されました。

この辺りのことは、まだ思い出すと苦しいのでサラッと書いていますが、
思想信条的に相容れなくなって自分から離れたわけではなく、正しいと思っている場所から放り出されたことで、私は世の中に居場所が無くなったように感じてしまい、
もう生きていても仕方がないと思うようになりました。
西武線の踏切に半日間ずっと立ち続け、泣きながら「次こそ」「次こそ」と思っているのに飛び込むことも出来ず、
「好きでこんな身体に生まれて来たんじゃないのに」と、誰を恨んで良いのか分からないまま
ボロボロになって(当時居候させてもらっていた)家に帰りました。

大学も中退し、親からの仕送りも止まり、組織の人と一緒に住んでいたアパートも追い出され、
ホームレスになりかけました。
恐る恐る座ってみた道路は、パンツもジーンズも履いているにも拘らず氷の上に直に尻餅をついたような冷たさで、
それでなくとも寒さが苦手な私は「ダメだ、路上で生活したら、私は半月ももたずに死ぬ!」と思いました。
踏切に飛び込もうとしていたくせに、凍え死ぬのは怖かったのです。

私は、プライドも何もかもかなぐり捨て、私を追放した相手が金を貸してやろうかと言うのに頭を下げて縋り、退学手続きをする直前に大学の学生生活課で格安(相場の半分、風呂なし・トイレは和式)のアパートを探してそこで暮らし始めました。
戸締まりをしても隙間風がビュービュー吹き抜ける、お湯も出ない、畳が腐っていて、天井が壁から浮き上がっているボロアパートで、
世の中を恨みながら、自分の身を呪いながら、貧乏暮らしが始まりました。

22歳を目前に控えた寒さの厳しい秋のことでした。

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