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トラウマ関連の読書記録⑬「内的家族システム療法」

パーツという概念

トラウマ治療関連で「パーツワーク」とか「パーツ」という言葉はよく耳にするし目にする。自分の中の感情が断片化され、内面にパーツとしていくつもサブパーソナリティができる。別に解離が起きる時や解離性同一性障害の人に特有のことではない。トラウマの状態に関わらず、人の内面にはいくつもパーツがあるのだという考え方らしい。これは多重人格ということではない。

不安な自分、怒りを抑えられない自分、腹痛を起こしてしまう自分、必死に家事や勉強を頑張る自分。これらは全て私の中のパーツだということになる。断片化については、下の記事に書いた「がんばることをやめられない」という本にも分かりやすく書いてあった。


そして、下の記事の本は断片化された自分を癒していく過程について書かれたものだった。ただ、出てくる事例が結構壮絶で、解離の激しいクライアントが多かった。私は解離はそこまでしていないと思われるため(EMDRの初回カウンセリングでテストを行い、そういう結果が出た。確かに自分でも解離で記憶が定かではないという事は全く無いと感じている)、あまりピンときていなかった。


でも、今は自分の内面がパーツに分かれているという捉え方はかなりしっくりきている。傷ついたり辛かった当時の自分の感情や、その時の年齢の自分がそのままパーツになって私の中に残されている、というのはインナーチャイルドにも通じるものがある。

自分の内面にいくつもあるパーツが、内的に、そして外的に相互で交流しているという「内的システム」を形成しており、この内面のシステムに家族療法(心理療法の1つ)を行うという、「内的家族システム療法(IFS)」という心理療法がある。リチャード・C・シュワルツ博士が提唱者である。

その本を読みたいと思ったのだけど、これという本を見つけることができなかった。こちらはセラピスト向けに書かれたものだが、読んでみることにした。


パーツにも種類がある

単に知りたいという気持ちだけで読んだので、気軽に読了した。途中何度も「あーそういうことか」となったり、パーツが私のために働いてきたことを感じて涙することもあった。

とりあえず、特有の用語がある。覚える気が無くても、読み終わる頃にはある程度理解できる程度のものだ。用語は分かっても、内面のパーツの存在やそれがどう働いているのか等については、専門のトレーニングを完了した専門家でないと把握はできないだろうと思う。当たり前だけど。

そして、パーツにも3つの種類がある。

【追放者】
感情、信念、感覚、行動。幼少期に傷ついた経験を持ち、感情的な痛みを持っている。その感情的な痛みで内的システムを圧倒しないように「防衛者」によって追放された。追放には大量の内的エネルギーを消費する。

【防衛者 → 先回り型の防衛者または管理者】
追放者が何かのきっかけで感情にかき乱されて内的システムが機能しなくなるのを防ぐ。常に警戒し、先回りして懸命に働く。
「彼らは断固として、容赦がなく、批判的で、時に恥を使い、私たちを義務で縛り、感情を感じさせないようにします。」

【防衛者 → 反応型の防衛者または消防士】
脆弱なパーツを追放し、感情的な痛みを消したいと思っているパーツ。常に警戒し先回りするのではなく、緊急対応専門で、激しく極端な手段を用いる傾向がある。アルコールや薬物乱用、過剰な買い物、自傷など。

私の内面で言うなら、不安でたまらなくなるパーツ(追放者)がいて、何かあると出てくる。それを常に先回りして警戒している防衛者のパーツもいて、本を読み漁ったり、家事を完璧にしたり、強迫的な行動を取って不安を感じさせないようにしている(ということは、防衛者のパーツは3つ以上いることになる)。

「内向きの批判者」は防衛者に当たると、この本に書いてある。自分を恥ずかしいと思い、嗤い、自己否定するのも防衛者のパーツということになる。とにかく内的システムを機能させようと必死に働いてきた防衛者のパーツたちがたくさんいる。こんなことをやっていたら疲れる訳だ。


Selfの存在

こんなパーツたちだけで自分の内面が形成されている訳ではないらしい。それが「Self」の存在だ。私たちは全員Selfを持っている。心理療法によって意味合いが違うが「自己」という感じだろうか。

Selfがパーツたちに変容をもたらす。ただ、パーツたちによって圧倒されていたり、パーツとの境界があいまいになっていることがあるが、必ず存在している。

Selfの特性は「好奇心、思いやり、創造性、勇気、落ち着き、つながり、明晰さ、思いやり、存在感、忍耐、粘り強さ、展望、遊び心」などで、8つのCと呼ばれている。これが必ず自分の中にあって、パーツたちを癒して変容させると、内的システムの中でリーダーシップを取れるようになる。IFSで最も重要なのは、このSelfへのアクセスなのだそうだ。

「不安定で混乱した内的システムは、クライアントのSelfとの関係が確立されると、再統合され、バランスが取れるようになります。」

どんなに問題があって困ったことになっている人でも、8つのCを持つ素晴らしいSelfが必ず存在していて、問題や困ったことはパーツたちの話を聞いて癒していくことで回復できるというのは、優しい。本当につくづくトラウマ治療というのは、どれも優しいと思う。それだけ傷ついてきているからそこを癒していくことが必要なのだな。


身体症状や精神疾患もパーツの働きと捉える

境界性パーソナリティー障害、自己愛性パーソナリティー障害、うつ病、不安障害、強迫性障害、反社会性パーソナリティー障害、依存症、摂食障害もパーツたちの働きで説明されている。
トラウマ由来でこれらの症状が発症することは既にこれまでに読んできた本で学んでいるので、違和感は無い。まあそうだろうなという感じがする。

そして、腹痛や頭痛などの身体の症状もパーツの1つと考える。医療的に問題が無い症状の場合は防衛するパーツの働きと考えることができる。
こういう身体症状に気を取られていると、感情的な痛みを感じないで済むからだ。実際、私は子どもの頃からお腹を壊しやすく、腹痛を頻繁に起こしたが、その間は両親の喧嘩などを気にする余裕も無かったし、どうでもよくなった。私を守っていたのだろうと思う。


どんなパーツも歓迎して受け入れ、感謝する

IFSでは、どんなパーツも受け入れて話を聞き、感謝する。好奇心を持ち、どう感じているかをパーツに聞いていく。どんなに困った防衛者のパーツでもだ。

「たとえ不作法に振る舞っていたとしても、すべてのパーツには善意があります。したがって、私たちは徹底的にそのパーツを招き入れることから治療を始めます。すべてのパーツは歓迎されます。」

ちなみに、追放者は幼少期の自分の年齢だったりする。5歳の怖がっている自分のパーツ、といったように。そして、防衛者のパーツに「今の自分の年齢」を尋ねると、今の年齢ではなく小さい頃の年齢を答えることが多いらしい。つまり、自分自身をまだ弱い子どもだと思って防衛しているということになる。だから「本当の今の自分の年齢」を教えると驚いたりする。

このあたりは、インナーチャイルドと通じるものがある。傷ついた年齢のままの自分が内面にいて、今も継続中になっている。おそらく自律神経や脳や身体も同じだろう。その時のことが「未完了」で、ずっと終わっていないのだ。だから、心も身体も安心させて「完了」させてやらないといけない。


スキーマ療法との共通点と相違点

自分の内面をその心理療法特有の名称で区分けするというのは、スキーマ療法を思い出す。

追放者 → 脆弱なチャイルドモード
防衛者 → 懲罰的なアダルトモード、あるいはコーピングモード
Self → ヘルシーアダルトモード

こんな感じだろうか。どちらも自分の内面の状態に気づいて対応するところは共通点があるように思える。

ただ、スキーマ療法では、懲罰的なアダルトモードやコーピングモードは、ヘルシーアダルトモードが徹底的に駆逐してチャイルドモードを守ることになっていた。ヘルシーアダルトモードも、もともと自分の中にあるというよりも「作り出す」感じだったように思う。

IFSでは、全部受け入れて歓迎する。Selfももともと自分が持っているもので、アクセスできるようにするだけだ。そう思うとだいぶ違う。

これはもう好みというか、しっくりくる方で取り組んでねという感じだと思う。私はどちらもセラピーを受けるつもりは今のところ無いし、スキーマ療法は結局今はもうほぼ取り組んでいない。どうしてもモードワークの時は「よっこいしょ」と自分の内面と脳みそを起動する感覚がある。それならもういいや、となった。IFSに関しては、パーツの概念については自分の中に留めておこうと思っている。


IFSセラピスト少ない問題

もしもIFSのセラピーを受けたいと思ったら、どうしたらいいのだろう?と思い、公式サイトを見てみた。

セラピストが少ないが、これはトレーニング修了者を全員載せている訳ではないということなのか。これ以上の情報をどこで知ったらいいのかはわからない。まあいいか。

ただ、ここに載っているセラピストの方のX(旧Twitter)を読むとそれだけでわかりやすくて勉強になる。考え方を教わるだけならそれでいいかもしれない。今度シュワルツ博士の本を訳して出版されるらしいので、それは読んでみたい。


私の防衛パーツの明日はどっちだ

それにしても本を読み漁り過ぎである。知識は付くし達成感もすごいけど、肩こりや頭痛が「もうやり過ぎだよ」と訴えている。
「知性化する」防衛パーツというのもあるとこの本に書いてある。まさにそれかもしれない。でもそろそろ疲れてきたな、とも思っている。

私の中に不安になるパーツがいて、その感情に私自身が圧倒されないように、先回りして本を読んだり知識を付けて防衛しようとしているのだと思う。多分。

この必死に頑張っている私のパーツには、とりあえず「ありがとう」と言いたい。もう疲れているのだから、休ませてあげたい。他にしたいこともあるだろう。好きなことをして欲しいと心から思っている。





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