痛いということば

 最近苦手な言葉がある。

「痛い」って言葉。痛いといっても怪我して痛いとかそういうものじゃなくて他者に対して使う「痛い」だ。

「あの人って痛いよね」「今の発言痛いよ」

 嫌な言葉は沢山ある。
「うざい」「粗雑だ」「むかつく」「だらしない」「めんどくさい」(個人的にめんどくさいと言われるの大嫌い)

 でもそれらは誰かが他人に向かって感じる感情である(自分自身を客観的に捉えて、自分がむかつくとか思うことはあっても)
“私”が他人に向かってそう思うのである。

 では「痛い」は?
転んで体が痛い、悲しいニュースを見て心が痛い。それは、いつも自分が感じる感情だったはず。何故なら他人の痛みなんて、感じようと思っても、どんなに寄り添ってもわからないからである。

 本来、他者に使う場合は「痛々しい」になるはずだ。そこからいつのまにか他者に使う「痛い」という言葉が生み出された。

 例えば無理して笑っている人がいる。自分のキャパシティ以上のことを、頑張ってやったりする人がいる。
それを見て、痛々しいと思う。自分の心がなんだか痛む。そんな風に頑張らなくてもいいんだよ、強がらなくてもいいんだよ。見てるのがつらいからさ。

 そんな言葉だった気がする。

 最近本当によく耳にする。「痛い」という言葉。

 
二個上の大学時代からの友人がいる。もう5年ぶりくらいに会うことになって、新宿のカフェで落ち合った。
 彼女は今彼氏がおらず、結婚もしていない。口を開けば「やばい」「結婚したい」と言っている。彼女は昔からクラブが好きで友達も多く、騒ぐのが好きだった。そんな彼女がうらやましく、いつも輝いて見えた。
「私が20代そこそこの時はさ、30過ぎて夜中飲み歩いてる人とかクラブで騒いでる人とか見て「うわあ、おばさん痛い」とか思ってたんだよね。だから、今の私もたぶんそう見えてるんだろうなあ」

 そう彼女は言った。

私は彼女に「いくつになっても、素敵な人は沢山いるし貴方は綺麗なままだよ」と伝えた。

そしてすぐにまた「痛い」という言葉を聞くことになる。

 一年ほど前に結婚した友人とランチした時。彼女もまた随分と派手で華やかな20代を過ごしたが、さらりと一年付き合った彼と結婚を決めた。
 彼女の口癖は「四番目に好きな男と結婚した」だった。

 恋愛に関してはまるで子供のような未熟な思考を持っている私に「いい人と付き合って結婚した方がいい」と彼女は言った。

「私の周りにも、40,50で仕事はうまくいっててお金も稼いでる人いるけど、なんか結婚してない人とかパートナーいない人とか、やっぱ痛いもんね、見てて」

でた。「痛い」

 見てて痛々しいのか。それを痛いと言っているのか。

でも、それって全部世の中とか自分の価値観から、それを痛いと判断しているんだよね。

40過ぎても結婚していない女性ってどうなの?
男は仕事を頑張るべき。
生産性。
 
そうあるべきで、それが幸せで、素晴らしくて、それに反していたら痛いと言われるのってなんなんだろう。

 私が31歳で未婚の出産していないから、その痛い、にこんなにも引っかかるのだろうか?

 
そしてまた別の「痛い」案件。
これは少し前の話だが、昔のマネージャーと飲むことがあった。そこにマネージャーと仕事の付き合いがある男性が3人きた。
 そしてたまたまそのうちの二人と共通の行きつけのバーがあったので、一緒に二次会としてそこに向かうことになった。
 女性は私と元マネージャーの二人、他は皆男性で、仕事で飲みに行ったとは言え、傍から見たら女の子が足りない、状態だった。

 12時も回るころ、お尻が半分も見えているようなショートパンツに、ノースリーブのニットを着た若い女の子が店に来た。彼女は私たちの連れの男性の一人のところにまっすぐと歩いてくると体をくねらせて
「人集まんなかった~一人で来ちゃった」そう言った。

話を聞くと、三人の男性のうちの一人が行きつけのラウンジの女の子を呼んだらしい。
「あいつ、人数分女の子呼べるって言ったんで、だったらいいよって言ったんすけど、一人で来ちゃって・・・マジ空気読めねえ、痛いわ」
 その男は前髪をかきあげながらけだるそうに言った。

 私と前女性マネージャーが飲んでいるところにそのラウンジで働いているという女の子が来た。メイクの感じからしても、23,4くらいだろうか。

「すみません、しがないラウンジ嬢がお邪魔しちゃって・・・」

その瞬間、猛烈に悲しくなった。彼女は申し訳なさそうにハイボールの入ったグラスを傾けた。

 しがないラウンジ嬢なんかじゃないよ。可愛いから、それで一生懸命お酒飲んで夜頑張って働いてるんでしょ。しがないとか、自分のこと卑下しなくていいよ。一緒に楽しく飲もうよ。

 思わず口から出ていた。彼女は一瞬きょとんとしたと思うと、アイラインをしっかり引いた目に涙をためて抱きついてきた(ソーシャルディスタンス!)そして彼女は私のことをお姉さま、と呼ぶと、ありがとうございますと小さな声で言った。
彼女がその三人のうちの一人を好きなのは一目瞭然だった。
「好きなの?」と聞くと「髪をほどいた時、キムタクみたいでかっこいいじゃないですか」
と、可愛らしく笑った。

 私から見えるこの尊さは、キムタクから見たら「痛い」行為なのかと思った。痛い、痛い、痛い。

 キムタクに相手にされない彼女は何杯もハイボールを飲んでふらふらになり、神々しいおみ足をソファに投げ出して横になってしまった。

 キムタクに言った。
「あんたのことが好きなんだよ。あんたの為にここまで来たんだよ。中途半端なことしちゃだめだよ」

 キムタクは苦虫を噛み潰したような顔をして小さく会釈した。

こういうのがおせっかいなのか、おばさんらしい、のか。だったらおばさんらしくてもいいや、とも思う。

 世の中の価値観、世の中の普通、はもちろんある。でも、それにとらわれて苦しんだり、自分を卑下する必要はない。あなたの人生なんだから、誰に痛いって言われたって、自分のものだから。好きに生きよう。

 

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