水丸さんのこと

先日、世田谷文化館で開かれていた「イラストレーター安西水丸展」に行ったので、水丸さんのことを書こうと思う。

安西水丸さんとお会いしたのはたった一度だけ。
ただ、回数や時間に関係なく、私にとってはとても大切な思い出がある。

2011年の春、代官山で「安西水丸+和田誠 AD-LIB 4」と言う展覧会があるから行こう、と知人に誘われて伺った。
道中、和田誠さんと安西水丸さんのプロフィール的説明を聞きながら、ああ、家にある小説のあのイラストを描いた人か。とか、ぼんやりと思いながら連れられるままに向かったのを覚えている。

会場で誰が誰なんだかわからず目まぐるしくいろんな方にご挨拶をしながら進んでいくと、1番奥にひっそりと楽しそうに水丸さんはいた。

私は子供の頃から大概の人の顔と名前の判別がつかない、もうこれは病気ではないかと思うハンデがある。
本当にわからないのだ。目と鼻と口があるグレーの物体に見えるので2人で何度か会っている人でも翌月には名前も顔も忘れていて、初めましてと言ってしまう大変失礼なことが多々あり、今も悩みの種である。

ただ、ちゃんと見える人もいる。その違いは自分のその人に対する興味の濃度だと最近わかった。(それ以外だと定期的に反復して会えるかどうか)

会った瞬間、この人は大丈夫。そう思い、
私はキチンと水丸さんの姿を認識した。

襟元についていた水さしのピンバッチ。
かわいいピンバッチですね。
と言うと、
今日ピンバッチを褒めてくれたのはあなたが初めてです、ありがとう。
とニコニコしておられて、
なんて気持ちの綺麗な素直な人だろう。と感激したのを覚えている。

後に知るのだが、水丸さんをご存知の方なら定番すぎてあえて言葉にしてご本人に言わないであろうくらい有名な襟元の水さしのピンバッチであった。

私は水丸さんに対しての知識がなにもなかったので言葉にしていたが、水丸さんはもう何千回と同じ事を言われ続けていただろう。なのにまるで初めて誉められたかのようにとても嬉しそうだったあの顔を思い出すと、どれだけ純粋な人だったのかと思う。

色々と話していくうちに、写真を撮っていると伝えると、独学ですか?と聞かれ、そうだ、と答えると、
あなたのような人は習ってうまくいくタイプではないので独学で始めて正解です。誰にも習わず自分の世界を突き詰めて作っていく方が向いている方です。
これからも、学校に入ろうなどとは思わないように。
個展や写真集を出す時にはここに連絡ください。観に行きます。
と、 安西水丸 と書かれた名刺をいただいた。

私は、写真の学校に行っていないことをうしろめたく思ったことはなかったけれど、当時は悩んだ時や道を決めかねた時に相談できる人もいなく、学校に行ったら違う写真を撮れていたのかな、と思う時もあったので、
水丸さんが、あなたは今の選択で間違っていません。

と優しい口調ながらハッキリ言った事を、他人に対して言い切ったなこの人、と思いびっくりしたと同時にとても嬉しく気持ちが晴れたのを覚えている。
これだけ言い切るってことは、自分の人生に自信があってちゃんと自分の選択で生きてきた人なんだ、偉大な人だなーとその時密かに思った。

2011年頃は、作家活動よりも、ミャンマーの医療制度の実情を取材しに行ったり東日本大震災を記録したりしていた。
だから、名刺をいただいた時に少し違和感がありその話もした。ただ、水丸さんは私が今のような作家活動を辿ることになる事を見据えたかのような話をその後してくださった。

では、私が作家の道を進むような、そのような時が来れば必ず連絡します、、、と言いお別れをした。
そして2014年に水丸さんは亡くなられた。

ここ4年ほどで、あの時は想像していなかったが予告されたまんまの写真家としての生き方になった。
個展をするたびに水丸さんの事を思い、財布を開ける。
そこには 安西水丸 と書かれた名刺がずっと入っている。

そして私は、誰かに素直にそう思ったら、あなたの道は間違っていない、そのままでいい。と言える写真家になりたいと思っている。

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