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自灯明法灯明 Podcast #19 Lynne Lockieさん - 鈴木俊隆老師とのエピソード

このPodcastでは、私がスティーブン・バチェラーさんのセキュラーな仏教のプログラムで出会った欧米の方々にインタビューをしていきます。今週は、Lynne Lockieさんから、サンフランシスコ禅センターの鈴木俊隆老師との貴重なエピソードについてお伺いします。

英語+日本語版(逐次通訳)

英語版

Lynne Lockie さん
アメリカ・フロリダ在住のアーティスト、作家、心理療法士、瞑想とマインドフルネスの実践の教師で、瞑想、スピリチュアルな規範・道に則った実践を60年以上続けられています。1959年に鈴木俊隆老師の下で実践を始められ、1964年、サンフランシスコ禅センターで最初に授戒された内のお一人です。その後、ミネソタ禅センター、Chattanooga Center for Mindful Livingの立ち上げに関わられました。2017年からは、New College of Floridaにマインドフルネスを導入されています。

鈴木俊隆老師
サンフランシスコ禅センター創設者、タサハラ禅マウンテンセンター創設者
Zen Mind, Beginner’s Mind 著者

今回のエピソードから、印象に残ったところを取り上げてみます。

サマー・オブ・ラブ*の頃には、様々な人が法話会を訪れました。私は来られた方にお茶を出していたので、キッチンへ何度も出入りしないといけませんでした。俊隆老師が法話を始められると、その中ほどぐらいだったでしょうか、正面に座っていた見知らぬ人が、お茶碗を床に投げつけたのです。こういう偶発的なことが禅だとでも思っていたのでしょう。あまりのことに、誰も身動きできませんでした。実際そうだったのかはわかりませんが、老師の小さなため息が聴こえたようにも思いました。老師は静かに立ち上がり、キッチンに入った音がしたと思うと、ほうきとちりとりを持って現れ、割れたお茶碗の破片を注意深くちりとりに入れたのです。そしてキッチンに向かい、ゴミ箱に破片を捨てる音がしました。戻って来られると、また法話の続きを始められたのです。素晴らしいと思いました。怒りも、何の感情も露わにされず、割った人に対して何かをされることもなく、ただなされるべきことをなさったのです。これが鈴木俊隆老師がよくなさった教え方でした。

*サマー・オブ・ラブ 
1967年夏、アメリカに起こった文化的・政治的な主張を伴った社会現象

サンフランシスコ禅センターの初期の頃には、あまり形式的なことはありませんでした。だんだん、儀礼を含めた形式を重んじるようになっていったのです。私は形式的ではないところにも素晴らしさがあったと思っています。こういうところが、スティーブン・バチェラーさんにも通じていると思います。先生を尊敬することは当然ですが、あまり形式的、儀礼的なことは必要はないと思うのです。

最後に一対一でお話しした独参の時には、「どうしたいですか?」と尋ねられました。咄嗟に出てきたのは「私はずっと先まで行きたいのです」という言葉でした。これは、一生ずっと実践をしていきたいという意味でした。私の人生を織りなす全て、芸術にも、子育てにも、この実践という糸はずっと変わらずそこにあり続けました。私は本当に感謝しています。このように尊敬できて、私を尊重してくださり、親切で、賢明な素晴らしい先生に出会うことができるということは、本当に幸運なことです。宝のような方でした。

参考:スティーブン・バチェラー Stephen Bachelor
イギリスの仏教者、瞑想指導者。初期の経典(パーリ仏典)に遡り、仏法(Dharma)を現代に生かすための再解釈を行なってきた。チベット仏教僧、禅僧としての修行・指導を経て、ヨーロッパを拠点とした瞑想指導を行いながら、1980年代から、欧米におけるセキュラーな仏教(宗教性のない、世俗的な、時代にあった仏教)を牽引している。邦訳に、ダルマの実践(四季社、2002年)、藤田一照訳(原著:1998年 Buddhism without Beliefs - a contemporary guide to awakening -)がある。

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