お家に居る時間が多すぎて🙄😏 の思い出二回目
嫁ぎ先に戻って!
家に帰ってきた時感じた事は、実家にいるよりは気分的に楽だと思えます。でも全てがいいとは言えません。実の母親に口うるさい小言を言われるよりはまだ他人の方が楽かもしれません。他人ならまだ諦めがつくのかなぁ~。
実の母親は血のつながりも有り、生きている限り忘れる事は無い。
今は母もなくなりこの怒りは薄れて行き今は思い出になっています。
言葉にする事が出来なかったのを思い、現在では心の中にある想いを文字にしています😃😄。
子供の成長期
忘れもしません。娘の1歳の誕生日に夫が急病になり入院と手術の繰り返しでした。子供は日を追うごとに成長していきます。店もあるので長女が3歳になって保育園に通う様になりました。お昼寝して4時にお迎えです。保育園に入る前に箸や茶碗の持ち方・トイレに靴を脱ぐ・履くから着替える等の特訓です。家での練習で特に大変だったのは靴を履くのが出来なかった事です。靴が履けるまで辛抱強く待つのですが、娘はすぐ泣きだします。😭その当時は主人の父親が店番を手伝いに来てくれていました(夫が病み上がりなので)。
孫も可愛がってくれるのはありがたいのですが、保育園までには少しでも多く自分で出来る様になって欲しく強い口調になって仕舞うと、お父さんの一言で「泣かさず。靴を履かしてやりなさい」と、わかるんだけどなぁ~。私も面倒だから履かした方がイライラしなくて楽なんだけどねぇ~😉
幼稚園に通い始めてるので親も娘も初めての経験です。連絡帳を配布されるのですが、その手帳には今日娘がした事に先生からの感想が書いてある。保護者会も有るし、個人面談も有る。個人面談の時に先生から言われた言葉にショックを受けました。
まずは目の事(斜視である事)年齢的に出来ない事が有る😲🙁
斜視は私もうすうすと感じていました。医学書や育児書、保健所での検診。鼻頭が低いとかで寄り目に見えると育児書に書いてあったのでそう自分で自分に思い込む事にしていましたが、先生の言葉で現実に戻りました。
先生の紹介で病院に通い始めました。 眼科の方は手術をする事が娘にとって良いと決めましたが、それまでには色々と私も悩みました。麻酔は大丈夫か?手術は大丈夫か?何か問題が起きたらどうしょう😖私の母親に話しをした時に反対された事。「孫が可哀想、何もわからない子供に!」と言われるとどうしても心が揺らいでしまう。手術の当日主治医の先生に私の気持ちを打ち明けた。先生に𠮟られてしまった。手術までの間の準備や麻酔科医の先生と色々な人が関わって準備している事。
「どうして急に心変わりしたのか?お子さんの将来の事を考えての決断では?」と説得された。不安と恐怖でたまらなかったのが事実です。これまでの一連の光景が想いだされました。抱きかかえられて手術室に向う娘😭。泣きじゃくりながら手を私の方に伸ばして助けを求める我が子の姿を思い出しました。*手術は無事に終わりました。
もう一つの問題点
育児書とは私にとってはとてつもない難しい教科書でした。例えば、寝返りは4ヶ月から6ヶ月、成長や発達は個人差が有ると書かれてある。寝返り、つかまり立ちは6ヶ月~1歳が目安。お座り、ハイハイと育児書には大体の目安が書かれています。保育園児の年少さんだとこれぐらい出来るのが普通と言われた事に腹立たしい思いをしました。先生だから導てくれるのが先生じゃないのか!母親にこの事を話してみたら「何でもかんでも教科書道理に行くわけない。」と何時も厳し~い母親が言ってくれた事で救われた気持ちになれました。他のお子さんと比べると少し遅いですが必ず追いつくものです。
*余談ですが1月の事です長女の誕生日とお正月なので私の手料理が煮物でした。備蓄用にと(家事をさぼれるかなぁ~😉😁)コタツで正月を迎えようと思って準備をしていたらつかまり立ちする様になった娘が煮物に向かってやってきました。素早い手で「ワ~」っと散らし悪さをしたんです。コタツ布団にまき散らした事を思い出しました😮😫
この話はまだ続くので残りは次回に書きます。
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