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疎遠の父が亡くなった話
こんにちは。
ヒーリングアーティストの瑠莉です。
先月、18年近く会っていない、離婚した父が亡くなった知らせを受けました。
気持ちの整理として、父と私の関係値について少し書かせてください。
父とは、
私が中学3年生の時に父がギャンブルにハマり家の貯金を2000万円ほど使った挙句、保険も勝手に全部解約して仕事も辞めてしまう。
なんていうことがあって、それ以来両親が離婚し疎遠でした。
なかなかファンキーですね。
途中警察から電話があったりとか多々ありましたが、どこで生きてるのか死んでるのかも、ここ10年ほどはわからない状態でした。
父と母が離婚した時、私は不登校から脱出するべくやっと高校が決まったところでした。
今思うと同じ様に部屋の片隅でずっと横になってる父を見て、もしかすると父も鬱だったりしたのかもしれないな。
と思う反面、自分の事で精一杯でしたので、父と歩み寄りや、
最後に話しかけて来た時「知らない」と会話を拒否して、歩み寄れなかったことが実は心残りでした。
あまり家にいない父でしたから、あまり会話したりしてこなかったのですが、
一緒に出かけた時にパチンコに夢中になって、私の存在を忘れて車で帰ってしまったり。
怒られたりした時にベランダから吊るされたり。
地味に辛かった思い出はあるものの、不思議と恨む気持ちはなく(当時はあった様に思います)
その記憶は時間やヒーリングにより癒えた気がします。
時代によってはそれくらい当たり前だった世代もあると思いますしね。
私もしては、
悪い事をすると見捨てれる
そちらの気持ちの方が強かったんだろう。と今になって思います。
どんな親でもやっぱり愛されたかったんだな。
と思うのです。
私が不登校から高校が決まった時に酔っ払って帰って来た父に報告した時に、
父は酔ってたのも相まってなのか、
良かったなぁ
と泣いて喜んでくれたのを今でも覚えています。
父は私には興味がないのかと思っていたので、本当に驚いて、その時の喜んでくれた父の顔が今でも忘れられません。
思い出は正直それしかないレベルなのですが、それでも今も心の中で、愛と喜びの感情として私を支えてくれています。
そんな中、今年の1月ごろでしょうか、父がホームレスになりコロナになり倒れているところをどなたが通報をしてくれた様で、母に電話がかかって来ます。
コロナの関係で誰かが引き取りに来ないと行けないようでした。
父がホームレスになっている。
年金を受給している年齢プラス、生活保護よりも支給額が多い世代なので、お金はあるはずなのですが、どうやらまたギャンブルでお金がなくなった様でした。
自業自得とはいえ。
私は、その事実に胸が締め付けられる様でした。
父はホームレスとして過ごしている場所を母には伝えなかった様でした。
その時に財布を無くしたそうで、私が母にプレゼントした財布をそのまま渡したそうなので、間接的に渡せたことは私の中で小さな救いでした。
私は一目あって、話がしたかったので、封筒に数万円なけなしのお金を入れて、手紙を書いて、見つけたらそれだけそっと渡そうと思い、駅前や行ける範囲の公園をさがしてみました。
コロナで辛い思いをしながら、外で寝ている父を思うと、エゴだとしても何かできることはないか。と思ったのです。
父のため、、ではなく、私のためにやりたかったのです。
休みの日、いろんなところを探してみたのですが、結局会う事はできませんでした。
そんな中、9月ごろに別の市から父の生活保護の申請が届きました。
そこにはこう書かれていました。
危篤状態のため至急返信下さい。
その日のうちに返信を書き、連絡やお見舞いに行きたい旨を書き手紙を送り返しました。
ですがしばらく経っても、役所から連絡がありません。
向こうが連絡をとりたくない可能性すらありますから、仕方が無いのかな。と思いつつ、
もし病院に行けるなら。
たまたま書いていた絵があり、絵を書き進めながら、もしホームに入っていたり、入院しているならこれを飾ってもらえたら、素敵かもな。
そんな思いが湧いていました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121240086/picture_pc_b330614154f44b1bf32666c991fad774.jpg?width=800)
描き上がった時はいくら見ても詩が浮かんできませんでしたが、仕上がりを見ると、静かな汽笛の様な音が鳴っている様に私は感じていました。
そしてこの絵が描き上がった次の日。
母が結局どうなったのか市役所に問い合わせをしたところ、
もう亡くなっていて、火葬も済んでいる。
そう言われたそうです。
後日骨壷を取りにいった時に、診断書を見て亡くなった日付を見たのですが、
手紙を受け取った日には、
もうとっくに火葬が済んでいたのです。
診断書や日付を見る前は、
「あの時躊躇わずに電話しておけば」
「もっと早く連絡しておけば」
そんな気持ちもありました。
手紙を受け取った時に、父のことをヒーリングしてみたのですが、姿がよく見えずそばにツクヨミさん(私のガイドです)が居たので
実はもう亡くなってるのかな。
それか本当に死が近いのかな。とほんのり思っては居たのですが、それを知る術は無いのです。
(※チャネリング等で人の生死や寿命を知ることは出来ません。)
私のヒーリングが少しでも父に届いていたら、嬉しいです。
その時点で生きていて連絡していたら、もっと手続きや金銭面で大変だったかも知れませんし、逆に連絡しなきゃ良かったな。と逆に後悔したかも知れません。
私が知った時には
どう行動していても、どうしようもなかった。
もう父は居ない。
その事実が私の中の沢山の小さな後悔を
救ってくれました。
私なりに行動したけど、会うことは出来なかった。
会うべきではない運命で、切れた縁だったのかも知れません。
悲しさよりも、これで良かったんだ。
私にとって父の死は、私の心の片隅にある後悔を終わらせてくれました。
もうどこか道で寝ているのかな。とか、気にかけることは無くなったわけです。
今の私に出来ることは、父の冥福と来世生まれてくる事があったら、次は平和な家庭に産まれてくれることを祈りながら、魂が癒えることを願いつつ。
そのために少しでも良い世の中にしていきたいし、後悔の少ない行動を取っていくことでしょうか。
今回も自分なりに動いたことでしたので
ちなみにお墓とかは要らなくて散骨でいいかなと以前は思っていたのですが、
私がお墓に入れて祈りたいな。
そういう気持ちになりました。
骨に魂が宿るわけでは無いので、祈れば想いは伝わるのですけど、残された家族のためにお墓は必要な部分はあるのかな。
何かしてあげたい気持ちを成仏させるために、あるものなのかも知れないな。
と今回のことで感じたのでした。
父には遺影がありませんでしたし、死に目にも会うことは叶わなかったのですが、肉体を失い、霊になったからこそ
しがらみなどなく伝わることもあると私は思います。
口では素直になれなかったり、行動が取れなくて後悔したり、それは私にもあるし
知る事ができなくても父にもあったかも知れません。
肉体がないから伝わる思い
あなたに届きます様に。
そんな気持ちで遺影のつもりでヒーリングアートを描きました。
そして同時に、どんな人間でも迷惑をかけて生きていたとしても、愛される事はある。
と知る事ができました。
これをきっかけに、自分はダメで何も出来ない。
クズでどうしようもない人間。
そうだとしても、愛してくれる人はそばに居なくてもどこかで思っているから、私はポンコツでもいい。
だから出来ることをしよう。
失敗しても、次会った時に変わった姿を見せれればそれでいい。
と少しだけ思えたのでした。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/121244931/picture_pc_ebc4b0b2d6a4f8bb5f9ec2df9001c8b4.png?width=800)
何かの終わりを迎える音を聞いたことがありますか
最初は小さな綻びだったり
それは突然かも知れない
終わる時が来る時まで
七色の輝きを持ち続けられますか
あなたとあなたの大切なものたちへ
いつか来る物質の終わりの時まで
何をして生きますか
あなたのかけたその一言が巡り巡る
それは魂のしらべ
肉体を持って出会えた喜び 悲しみ 苦しみ 愛
私の魂の一部となる
永遠に刻まれる 魂の音
この星で出会えた事
魂は忘れない
またいつか全てがひとつになるその日まで
私はこの地であなたの癒しが進むことを願います
さようなら
また会いましょう
長くなりましたが、まとまりのない文章を読んでいただきありがとうございました😊
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