人工と自然のはざま

ちょうど2年ほど前から、私はずっと布団にくるまって目を閉じていた。
自分のすべきことや知るべきことが何も浮かばなかったのだ。

私の目を開かせてくれたのは、家族とは人工的なものであるという言葉だった。

私はそれまで、家族は自然なものだと思い込んでいた。

だけどよくよく考えれば、夫婦はとうぜん他人だし、子どもだって遺伝子の半分は他人だ。つまり、ほとんど他人。
そこに自然な何かなんて極々わずかしか含まれていない。

私たちは人工的な関係性の中に生まれ育ち、管に繋がれて死んでいく。

今は健康に暮らせている人も、歳をとればある意味で人工的な延命措置と無縁ではいられなくなる。

人はどこかで自然を求めつつも、人工的なものを捨てることができないイキモノなのだ。


世の中には絶対に薬を飲まない人や、逆に化学的な処置をやり尽くす人がいる。
そういう人がかち合うと、時として終わりのない論争が始まってしまう。

もし私がどちらかの立場であったら。

「そういう人もいるんだね」と個人を尊重し、適度に無関心でありたい。
自分の勘と感情だけを頼りに、“人工と自然のはざま”を生きていたい。





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