透明な船に乗って

※但し書※

 この小説は晴凪さん主催の妄想鉄路第2号に掲載された作品です。そちらのページからもお読み頂けます。(https://mizuhara-railway.jimdofree.com/%E5%A6%84%E6%83%B3%E9%89%84%E8%B7%AF/)


 定期試験が終わった五月のとある木曜日、奈良原夕子は東鎌暗(ひがしかまくら)駅の改札口で薗景子を待っていた。午前十時に待ち合わせたが、夕子は乗り換え検索で指定された列車より一本前の列車に乗れたので、予定より少し早く着いていたのだった。レモン色のTシャツにパステルカラーのシフォンスカートが、夏のはじまりにふさわしい日差しを受けてひかっていた。
夕子は傍目には何の気も無しにスマートフォンを眺めているように見えるが、肩にかけたトートバッグの持ち手を握る拳には知らず力がこもっていた。
 今日は学校以外で夕子と景子と会う初めての日なのである。
 先日の定期試験の後、景子と一緒に帰りながら水占(みうら)へ行く約束をしたのだ。
 高校三年生の夕子より一年年下の景子は一体どのような格好で来るのか、今日は楽しんで貰えるだろうか、というかそもそもちゃんと待ち合わせに来てくれるのだろうか……。
 ぐるぐる考え事をしながら、先ほど来、当湘鉄道のホームページの運行情報を開いては閉じ開いては閉じている。
 じっと動かない夕子の周りは、彼女が気付かない間に無数の鳩がたむろっていた。
 と、そこへ。
「すみません、お待たせしましたっ。」
 聞き馴染みのある声と近づく足音。同時に一斉に飛び立つ鳩――
 夕子は羽ばたきの合間に、景子の姿をみとめた。
 ベージュの帽子に白いワンピース、それに水色のストールを纏っている。
「夕子さん、こんにちは。」
 景子が夕子の目の前に来て会釈しつつ言った。
「晴れて良かったですね。……夕子さん?」
「…………かわいい……です……。」
 夕子は語彙力を失った。

「……わぁ!」
 東鎌暗駅の改札を入ると、二人は声を揃えた。ホームには二本の列車が停車していた。一本は当湘鉄道本線と東鎌暗線から来ている朱色に青緑色のラインが入った列車。そしてもう一本は
「――アクアシップ号。」
 景子が頭上のLED表示の発車標を見て言った。
 白地に底部は赤色のライン、その上は青色で波の意匠が描かれており、窓の上にも赤いラインが引かれている。そして波や舵がモチーフ金色のヘッドマークが光っていた。その名の通り船をモチーフにしているのである。
「これ、普通に乗れるのかな?」
「駅員さんに聞いてみましょうか。」
 二人が改札窓口まで戻って聞くと、
「はい。特に指定席券など無くてもご乗車できますよ。」
 若い女性の係員が朗らかに答えた。また、
「船をコンセプトにしたデザインで、三号車の天井はトンネル内で星空になるんですよ。」
 三つ折りのパンフレットを二人に渡しながら付け加えた。
「えー!見たい!」
「天文部の夕子さんとしては三号車ですね!」
 二人は係員に礼を言って、停車中のアクアシップ号の三号車に乗り込んだ。
 ダークブラウンの木を基調とした内装に瑠璃紺のボックスシート。窓は深紅のカーテンに碇のデザインの留め具。細部にまで拘っていることが一見して窺えた。
「どこに座ろうか?」
「折角ですから海が見える方にしましょう。」
「えーと、進行方向はあっちだから……。」
「右側ですかね?」
 二人が海側のボックス席に座ると、車掌のアナウンスがあった。
「この列車はアクアシップ号水占行きです。各駅に停車して参ります。厨子海岸(ずしかいがん)、波山(はやま)、丈山口(たけやまぐち)、岬口(みさきぐち)、水占へお急ぎのお客様は向かいの急行水占行きをご利用下さい……。」
 夕子は向かいに座る景子に
「急行の方が先に着くみたいだけど、どうする?」
 と聞いた。景子は
「……こっちが、いいです。」
 星が瞬いているような瞳で言った。

 アクアシップ号が発車してから、景子がおもむろにかご編みのバッグの中をごそごそと探り出した。
「写真、撮ってもいいですか?」
「もちろん!……それ、一眼カメラ?」
 夕子は景子が取り出した黒いカメラを見て言った。
「デジタル一眼?というらしいですが……」
「へー、本格的だね!」
「晴れた海を撮りたくて。」
 その内に、
「間もなく才木座(ざいもくざ)~、才木座です。」
 車掌のアナウンスが響いた。減速して停車する列車。緩やかにカーブを描いたホーム越しには――
「あ、海!」
 二人はほぼ同時に言った。
「次はこつぼ~、こつぼです。」
 続いて車掌の声が次の駅を告げると、列車は南東へ進路を向けて、海に寄り添うように走り出した。
 車窓いっぱいに広がるきらめく水面。二人はしばしその景色に見とれた。
 列車がこつぼに到着し、間もなく発車すると、すぐにトンネルに入った。
 刹那、ぱっと消える照明。
 次の瞬間、天井が一面の星空になった。
「わぁ~!すごいですね!」
「デネブ、ベガ、アルタイル……あっちにはアンタレス!それから奥の大きな照明は北極星?かな……レグルスが見えるってことは今の季節だとすると……丁度午前零時頃の全天だね!」
 再現すごいねーと笑う夕子に、
「夕子さんもすごいです……。」
 景子は感心して言った。
「そうかなー?昔の船乗りは星座を頼りに航海したとも言われてるから、こういうデザインにしたのかもね。」
「海も星も見えて嬉しいです。」
 二人が星にうっとりする内に、列車はトンネルを抜けて再び海岸沿いを走り出した。一時の夜の空間から朝へ。アクアシップ号は
「次は厨子海岸~、厨子海岸です。」
 眩しいはつ夏の砂浜に向かって駆けていった。列車は一路、半島の南端を目指す。

「水占~、終点水占です。ご乗車有り難うございました。どなた様もお忘れ物の無いようお手回り品今一度お確かめ下さい。この先もお気を付けて行ってらっしゃいませ。」
 車掌のアナウンスを背に受けつつ、二人は水占駅のホームに降り立った。
 どこからか吹く風を感じれば、潮の香りがする。
「海だね~。」
「海ですね~。」
 車止めの先に見える改札の向こうは、すぐに当湘鉄道が運営する水族館のゲートだった。
「水族館、行ってみようか?」
「その前に……あれ、なんでしょう?」
 景子が指差す方を見ると、車止めの脇に青い鳥居と小さな祠が建っていた。
「神社かな……?」
 近づいてみると、鳥居の扁額には「水占駅神社」と刻字されていた。
「これ絵馬でしょうか、可愛いですね。」
 祠の側に青いしずく型の絵馬らしき木札が鈴なりに下がっていた。立て札の由緒書きを見ると――
「水占の総鎮守の水占神社から勧請した神様ってことでしょうか……。」
「交通安全、縁結びの神様だって!絵馬は駅員さんに言えば買えるみたいだよ。」
 早速改札窓口に行くと、大柄な中年の係員が油性ペンと一緒に絵馬を二体差し出した。
「待ってください、夕子さん。」
「え?うん……。」
 景子が絵馬を書きに行こうとした夕子を引き留めて、係員に尋ねた。
「御朱印もあるんですか?」
「あるよ。」
「一枚お願いします。」
 奥へ入って間もなく出てきた係員に渡された御朱印は和紙に印刷されたものだが、「水占駅神社」と中央に踊るように書かれており、背景には青い波やイルカなどのイラストが描かれていた。
「わ~、かわいいね~!」
「御朱印集めは祖母の趣味でもあるんです。」
「おばあちゃんと一緒に集めてるのか~、いいな~。」
 夕子がわずかに身じろぎした。トートバッグに付けた鈴が、りんと響く。
「私もおばあちゃん好きだったから。」
「……あっ、ごめんなさい。夕子さんのおばあさんて……。」
「もう十年ぐらい前だから気にしてないよ。それより、絵馬書こ!」
「……はい。」
 二人はそれぞれ油性ペンを握って願い事を書いて、隣同士に絵馬を掛けた。
「……うん、願うこと、ほとんど一緒、だね。」
「……そうですね……でも、嬉しいです。」
 二人はひととき顔を見合わせて笑むと、どちらともなく改札口を目指した。
 ピピッというICカードのタッチ音が海風にユニゾンした。

 水族館は若干古びてはいたがきれいに整備されていて、生き物たちは悠々と水中を泳いでいた。様々な形態の魚や、アシカやペンギンなど定番の生き物を見て回る内に、昼を過ぎてしまった。
「……そろそろお昼にしよっか。」
 そう言って二人が入ったのは水族館内のレストランであった。有名なマグロをふんだんに盛ったどんぶりなどがメニューの大半を占めていた。
「マグロか~。」
「……マグロさん……。」
 二人はつい先ほど見た大水槽でガラス越しに遊泳していたマグロたちを思い浮かべていた。
「いやあのマグロは使ってないと思うよ!」
「う~ん……でもなんとなく食べづらいので、どんぶりは諦めます……。」
 しばしの沈黙の後、
「そっか……、じゃあ私はマグロ三種盛りにしようかな。」
「では、私はシーフードカレーにします。」
 結局二人とも海鮮ものになったのであった。

 昼食後、二人はお土産屋さんに立ち寄った。
「かわいいものがたくさん置いてあるね~。」
 夕子は当湘鉄道の車両に乗るアシカのキーホルダーを見つつ、
「でもちょっと年齢層的に子ども向け、かなぁ……景ちゃん?」
 景子に話しかけると、景子は一抱えもありそうなペンギンのぬいぐるみと見つめ合っていた。
「景ちゃん……それ、買う?」
 夕子の言葉に景子はハッとして振り返った。
「い、いえ!ただ見ていただけです……!」
「持って帰るのもちょっと大変そうだけど……折角だから買う?」
「いえ、本当にいいんです……!」
「そっか、じゃあ……。」
 夕子は店内をぐるりと見回して、
「お揃いのもの買って帰る?」
 と言った。
「はい……!」
 その後二人は小一時間も店内を回遊魚のように歩き回り――アシカとペンギンのガラスマドラーを買うことにした。
「夏っぽくてこれからいいですね。」
 景子がペンギンのマドラー手にして微笑んだ。
 夕子は機会があったらペンギンのぬいぐるみを買ってあげようかと思った。

 水族館を出ると、俄に雲行きが怪しくなってきた。
「ちょっと早いけど、帰る?」
「そうですね、なんだか風も冷たくなってきましたし……。」
 そう景子が言い終わらない内に、ばらばらと雨粒が天から降ってきた。
 急いで水占駅の改札を抜け、停車中の列車に乗り込む二人。すると、
「この列車は東鎌暗線、本線直通、急行当京(とうきょう)行きです。六津浦(むつうら)からは快速特急となります。途中各駅へお出でのお客様は普通列車をご利用下さい……。」
 車掌のアナウンスがあった。
「直通電車だ。」
「夕子さん、これで横破魔(よこはま)まで帰れますね。」
「うん、そうだね……。」
 なんとなく寂しくなって言葉を濁す夕子。しかし列車のドアは閉まり、既に発車していた。列車は徐々に速度を速める。車窓には雨粒が打ちつけられては斜めに流れ下っていった。車両には、夕子と景子だけが乗っていた。
 二人の間に沈黙が降りる。
 窓ガラスには雨水が流れ、その奥には新緑の街並みが広がっていて――先ほどまでいた水族館の記憶も相まって、静謐な車内の空気と列車外の水に浸った世界が一続きのような感覚になった。窓に顔を近づけてみれば、本線直通列車の塗装色であるレトロな朱色が窓枠にちらりと見え、珊瑚の中から水中を眺めているような気もした。初夏の雨はどこか熱を帯びていて、二人がじっと黙り込む水槽をぬるく濡らしていった。
 やがて、
「間もなくー明谷(あきや)海岸(かいがん)、明谷海岸です。」
 車掌のアナウンスと共に、海が広がった。
「あ、海。」
 二人はほぼ同時に声を上げた。そして、いつの間にか窓ガラスの水滴が透明な水玉模様になって、所々光の粒を宿していることに気がついた。海上にはいくつか天使のはしごが静かに降りていた。
「……きれいですね。」
「降りて、みない?」
 夕子の問いに景子が頷いた。列車のドアが開いて、微かに潮の香りがたゆたっている。夕子は急いで景子の手を取ってホームに降り立った。
 朱色の当湘鉄道の車両が、西日を浴びて黄金に輝いている。その輝きがガタンゴトンと遠ざかっていった後、向かいのホーム越しに現れたのは夕陽に映える明谷海岸だった。
「いい景色だねー……。」
「夕方だと、また違いますね……。」
 眩しそうに目を細める二人。
「……あの……ところで、夕子さん、手……。」
 景子が俯いて囁くように言った。
「あ、ごめんごめん!降りられないかと思って思わず……。」
 慌てて手を離すと、ひらひらと両手を振る夕子。
「いえ、大丈夫です……。」
 再び流れる沈黙。ホームには夕子と景子の二人だけ。夕照の明谷海岸のただ美しく――その世界の片隅に、二人も斜陽を浴びて立っていた。

 暫く後、俯いていた景子が「あ。」と小さく呟いた。
「どうしたの?」
「波紋みたいな光が……。」
 景子が指差す先には、ホーム上に確かにゆらゆらとした光の文様が浮かび上がっていた。その先を見ると――
 ホームの奥に、ガラス張りのこぢんまりとしたカフェがあった。波紋のような光は、その店先に吊り下げられたガラスの浮き玉が夕陽に照らされてできたもののようであった。
「内陸側のホームにはカフェがあったんだね……!」
「行きは海の方見ていたので気がつきませんでした。」
 二人は吸い込まれるように近づいていった。入り口に下がった看板には「喫茶アクアシップ」。丸窓の扉を押し開けば、珈琲の甘やかな香りが漂ってきた。間もなく店員がやって来た。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「はい。」
「空いているお好きなお席へどうぞ。」
 店内は西日が差し込んで飴色に輝いていた。二人は海が見える一面の大きな窓際のテーブル席に座った。テーブルも透明で、ガラス材のように思われた。
 やがて店員が水とメニューを持ってきた。
「星の海のクリームソーダ、気になる!」
「おすすめのプリンも美味しそうです……!」
 二人は早々に注文を決めた。
 夕子の頼んだ星の海のクリームソーダは、球体のバニラアイスにアラザンがまぶしてあり、青いソーダには星形の寒天ゼリーが入っていた。景子の頼んだプリンは、イルカの形のクッキー付きで、青みがかった透明なガラスコップに入っていて、容器は持ち帰ることができるとのことだった。
 金色の光が差し込む店内で、二人はそれぞれのグラスに小さな夕陽を灯しながら、また他愛も無い話を堪能した。ガラス窓の向こうには黄金色の海と、波のようにさざめき交う当湘鉄道の列車が時折往来していた。

 明谷海岸の空が茜色から桃色、そして青色へと移り変わる頃、二人は東鎌暗行きの列車に乗った。車両は水占線の普通列車で、車体はエメラルドグリーンの全面塗装に山吹色のラインが入っている。二人は再び海側のボックス席に座った。
 西側の車窓で、一番星を見つけたのは景子であった。二人は青色に沈み行く穏やかな沙神(さがみ)湾をゆっくりと北上していった。
 
「お疲れ様。」
「お疲れ様でした。」
 東鎌暗駅の改札端に二人は立っていた。
「楽しかった~!」
「はい。」
「また遊ぼうね。」
「はい。」
「気をつけて帰ってね。」
「はい。夕子さんも。」
「……景ちゃん、本当に楽しかった?」
 夕子が景子の顔を覗き込む。
「はい、とても。」
 景子は微笑んで、
「今日は電車に乗って水族館とカフェに行きましたけど、ずっと船に乗っているみたいな気分で楽しかったです。」
 と言った。
「船?」
「ずっと海にまつわる所に行ったりしたからでしょうか……車窓も、水槽も、カフェの窓も――なんだか、透明な船に乗っているみたいでした。」
「……そうだね、文芸部員の景ちゃんらしいね。」
 二人はふふっと笑った。その時、発車ベルが鳴り響いた。
「夕子さん、当京行きが行っちゃいます。」
「うん、じゃあね。今日は有難う。」
「こちらこそ有難うございました。」
 夕子は「またね!」と言って振り返りつつ列車に乗り込んだ。景子はそのテールライトが見えなくなるまで見送ると、沙州一宮(さしゅういちのみや)線に乗るため鎌暗(かまくら)駅を目指して歩き出した。

 家路を走るそれぞれの船。天に昇るは上弦の月。透明な船の旅は続く――

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