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2024/07/26 - 21:09 | 「小林一茶」の謎
今日は、予備校の基礎シリーズ最終日(厳密には模試っぽいのあるし、すぐ夏期講習も始まるから、休みないんだけど)なんだかんだあっという間やったなぁ。とかって、呑気に言ってられる場合じゃない。
今年の目標も、KPIも、ちっとも達成できてない。まずいまずい。とりあえず、今日はオスマン帝国史を調べていて、偶然「ハーレム」の語源を知りました。(オスマン帝国の後宮を指す言葉らしい、オスマン帝国衰退の流れの中で、イェニチェリの腐敗とかと同じ項に載ってた)あとは、モバイルバッテリーを貸したらクッキーになって返ってきました。だいぶ得した気分です。
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話は飛んで、今日の日本史で「小林一茶」が出てきたんだけど、現役生の頃からずっと疑問に思ってることがある。自分の中で、小林一茶って近代の人っぽいイメージが強いんだけど、なんでなんだろうってこと。
もっと具体的に。松尾 芭蕉は1644年から1694年、小林一茶が1763年から1828年、与謝蕪村が1716年から1784年(Wikipedia調べ)。だから、結論、この3人って全員江戸時代の俳句の人なんだけど、なぜか、後者2人だけ、明治とか大正の人っぽいイメージがある。
江戸時代っぽい感じではないよね?
って、日本史の時間に割とじっくりと考えてた。
個人的に、思うところはあったので、ちょっとメモっとく。こうした俳句の人と、初めましてするのって、多分小中学校の国語の教科書だと思う。
それぞれの人がどういうイメージの登場をするかって考えると、
松尾芭蕉は、「奥の細道」
小林一茶は、そこのけお馬
蕪村は、菜の花
で、こっからが大事なんだけど、松尾芭蕉って、古典作品のページに載ってなかったっけ? 竹取物語とか、平家物語とか、徒然草の序文とかと一緒のページに並んで載ってるイメージがある。一方で、残りの2人はというと、多分「俳句・短歌」のページに、現代歌人とか、明治、大正、昭和、の歌人の方と一緒に載ってたように記憶してる。
だから、松尾芭蕉だけは一番のイメージは「書名」で、俳句単体じゃない。一方で、残りの2人のイメージは「俳句」。
多分、これが原因で、最初の段階で、芭蕉は「古いもの」ってイメージが無意識に固定されちゃってるんじゃないかと思う。結果、「俳句の大成者」で「より古い」芭蕉は江戸時代だから、残り2人はもっと現代に近い、明治大正の時期なんじゃないか、みたいな固定観念、勘違いが生まれるのでは?
なんとなく2.7割くらい当たってそうな気がする。
とりあえず、こんなことを考えられるくらいには今日も平和で平常運転です。
明日は、高岡に行ってきます。
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