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ウクライナ避難民の心の声に耳を傾ける

この記事は、9/11(日)ウクライナチャリティーイベントに参加くださる全ての方、またお越しになれない皆さま、ウクライナに関心を寄せてくださっている方に向け発信しています。

( ※この記事は、基本的に無料で最後までお読みいただけます。およそ10分程度で読み終わります。 )

” 日本に避難してきた ”ウクライナ人への支援を目的に行われるイベントです。

文化も言語も全く違う日本に来たウクライナ避難民の現状を伝え、日本人としてできることを考えていきたい。

このイベントに関わることで見えてきた現状、問題をありのままお伝えしていきます。

欧州に逃れたウクライナ人は約640万人に上る(2022/8月時点)。日本への避難者1,830人。48都道府県に分散しており、東京都(398人)を中心に、神奈川県(119人)、大阪府(107人)、沖縄県(16人)と全国各地へ避難民在留者が広がっている。

引用:出入国在留管理庁調べ(9/3速報値)


ウクライナ避難民との出会い

<民族衣装のヴィシヴァンカと日本の着物姿の少女 参照:ウクライナ・日本の架け橋>

このイベントを立ち上げたきっかけは、本当に一瞬でした。

ニュースで流れてきた映像が衝撃的すぎて、このご時世で、まさかミサイル攻撃で戦争が始まるなんて思ってもみませんでした。

日本人なら誰しも思ったはず・・・。
平和ボケというのでしょうか。

アフガニスタンやシリアの内戦は知っていたけど、どこか遠い夢物語のようで、数年前にヨーロッパを周遊し、ウクライナには行かなかったけれど、隣国ポーランドには想い入れがあった。

ウクライナで起きているあの忌まわしい映像を見て、私の旦那はとっさに「何かしたい」と言ってきた。

縁もゆかりもない国でしたが、ここから怒涛のように動き出し、気づいたら日本に来ている避難民の方達を探していました。

そこで辿り着いたのが「ウクライナ・日本の架け橋」というFacebookの支援団体グループでした。

そして今イベントを開催するに至ります。

それが始まりです。

https://www.facebook.com/groups/uajpkakehashi
すべてのウクライナ人と日本人とをつなぐ「架け橋」として、ウクライナ国内外の生活支援、復興支援を目的として活動。寛容性と多様性を保ちつつ、それぞれが「できること」を提示し具体化することを方針とします。様々な形での有志の方々のご参加をお待ちしています。

引用:Facebookグループ ウクライナ・日本の架け橋


特例とも言える「避難民」 難民との違い・・・

<イベント準備にて。メッセージ付き国旗とエンブレム作成。イベント終了後団体へ寄付>


ウクライナから避難してきた人達は、「短期滞在」で入国し、1年間の滞在や就労が可能な「特定活動」というビザへ切り替えることで、避難民として受け入れを可能にしています。

この資格を取得することにより、国民健康保険の加入や、子どもの学校への通学も可能です。

今回、日本でこのような措置がとられるのは非常に稀なことで特例とも言えるそう。

「日本は難民認定が少なすぎる」と言われているように、日本の難民受け入れは、たったの0.7%と狭き門と考えると、今回の「避難民」に対しての措置は本当に異例だと思った。

一見優遇されているように思える「避難民」だが、「難民」の定義とは全く異なっています。

難民とは人種・宗教・国籍・政治的意見または、特定の社会集団に属すという理由で、迫害を受ける恐れがある国際的な保護を必要とするもの。

日本では、迫害を受けたアフガニスタンやミャンマーといった方たちがこれに値する。

それに対しウクライナ避難民は、定義がなく、その時々で対応が異なっているため、その場しのぎの対応といったところ。

正直、日本での暮らしが保証されるものではないのが現実です。

支援がいつまで継続されるかは不透明で、1年ごとに更新する在留資格がいつ打ち切られるかもわからない。

また、避難してきた人の中には、日本の受け入れ先が決まっていない人たちも。

一旦仮住まいとして、ホテル生活、明日はどこへ行くのか分からない、見知らぬ地で遠い未来を考えることはできません。


様々な理由で避難してきたウクライナ人

<ウクライナのど真ん中にあるドニプロ川。川幅が10kmもある大河。市民の憩いの川>


ウクライナから日本の距離は約9000キロ。

日本との時差は、6時間で日本が進んでいます。

戦禍の中、人でごったがえす鉄道をかき分け40時間以上電車を乗り継ぎ、近隣国から、飛行機でやっとの思いで日本国へくるウクライナ人。

近隣国へ逃れている避難民が多い中、日本を選択する理由はやはり、誰かを頼って来ています。

親族がいる、旦那が日本人である、日本人の彼氏がいる、友人を頼りにくる、中には日本へ憧れを抱いてやってきている若者も。
 
ウクライナと日本の物価で見たとき、余程の理由がないと足がすくんでしまいそう。

ウクライナの平均月収は約3万円ですから。

全財産を注ぎ込んで、空港のチケット買って、、、支援者が渡航費を出してくれることもあるみたいですが…。

きっと初めて訪れた人も多いのだろう。

そういった理由から、お金がなくて避難できない人達も大勢いる。


いずれにせよ、戦時化のウクライナでは18歳〜60歳の男性は、原則として出国を認められていないため、女性と子どもたちの避難民がほとんどです。

年配になると親族を頼って避難してくる人が最も多く、本音を言うと自ら望んでこの生活を送っているわけではない、早く祖国へ帰りたい、できるだけ子供の世話にはなりたくないという。

避難により家族が離れ離れになっている現状で、逃れた安堵感と、家族や夫の無事を日々祈りながら会いたい気持ちでいっぱいになるそうだ。


ことばの壁と、戦争ストレスの心の問題

<木々の後ろは、水面が凍りついている冬のドニプロ川。キーウ近郊からわりと近くに自然が現れる>

生活するにも、就労するにもついて回る大きなことばの壁。

スーパーの買い物も日本語が読めず、見た目だけが頼り。

何が入っているのか分からない。

もともとすぐに帰れるだろうと思って日本での生活を始めた人は、日本語を学ぶ気持ちは中々生まれないという。

故郷を思い出して、辛い時間も多い。

避難生活の長期化に備えて、日本に馴染めるように日本語の勉強に力を入れている人もいる。

前向きな姿を見せるウクライナ人でも、「母国を守りたい」と言う人もいれば「戦争をやめてほしい」という人も。

家族の中でも、人ぞれぞれ受け止め方は違っているし、隣国に対しての気持ちも違うみたいで本当にデリケートな部分だと思う。

日本ではウクライナ語はもちろん通じない、英語ができればなんとか職につけるだろう、と思ってくる人もいる。

しかし、就労については日本語能力が重視されるこの国で、言語習得なしでは先へ進めるてだてはない。

ウクライナはIT先進国で、高学歴の人、高度な専門スキルを持った人達も多く、本人の希望に合った就労先を見つけることはかなり困難です。

他国でも言語は大きな問題になっているかもしれませんが、馴染みのない日本語は本当に大きな壁だと感じます。

一部では、某大手企業の避難民への就労や住居・生活用品などの支給を開始したところもあるが、手厚いサポートを受けられているのはほんのわずかな人達という事実。

ほとんどの人は職に付けていません。

ましてや、高齢となると娘息子の負担になるまいと家に引きこもることが多いという。

戦争への不安や毎日のように親族知人の安否確認、慣れない日本の生活に一変してしまった、大きなストレスが酷いPTSDに悩まされているケースも少なくありません。

日本にいても、飛行機の音でサイレン音が蘇り夜は眠れない人もいるほど。

現在進行形の終わりが見えてこない戦争で、多くの尊い命が奪われています。

ウクライナ人にとって、避難民、在日ウクライナ人関係なく、自国が壊されいく状況化で、誰かの死を認めなくない、毎日のように痛み悲しんでいると思うと心が締め付けられそうになります。


想う支援のあり方について

<避難民のおばあちゃまが作ったハンドメイド作品たち>

今回ご協力いただいているFacebookグループ「日本の架け橋」さんも善意と有志で活動しているグループです。

その中の一人の女性と数ヶ月前からやり取りしています。

お母さんでありながら、仕事と育児家庭のことも両立させて、本当に寝ているの?と思ってしまうほどパワフルで素敵な女性です。

在日ウクライナ人の彼女もその一人。

自国のためにできることを考え、日本の多くの人にウクライナのことを知ってもらいたいと、料理をベースに広める活動をされています。

国や地方自治体の支援だけでは、カバーできないところが多く、民間レベルで沢山の人達が有志で支えている。


<ウクライナの伝統家庭料理。作った人の味が感じられるボルシチ>


【避難民と多文化共生の壁】日本で暮らすウクライナ避難民が、少し先の未来に望むこと
https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2022/77136/ukraine

引用:日本財団ジャーナル

避難民が暮らす周りの環境で、大きく生活は左右されます。

子供の学校、近隣に住む人etc…生活している周りの身近な人たちのサポートが避難民にとって大切だと思います。

支援というと大きく感じてしまいますが、大それたことをする必要はなく困っていたら助ける、そういう当たり前の協力がしていきたい。

今回のチャリティーイベントをするに当たって、私に何ができる?と声をかけてくださった人が沢山います。

この温かい言葉が、行動となり支えとなる立派な支援だと思いました。

そして今回のイベントでも、避難民が作ったハンドメイド作品を販売するブースがあります。

金銭やモノを与える支援ももちろん大切ですが、” 場 ”を提供すること、日本・社会との” 繋がり ”を見出すことの大切さを感じます。

ハンドメイド作品を作っている時のおばあちゃま達は、キラキラと輝いているそうです。

このチャリティーイベントの目的

<華道家karinさんの作品。平和と祈りと光。イベントのキッチンへ飾って頂きます>

チャリティーは、募金を集めることも大事ですが、シンプルに「笑顔になってもらいたい」、ほんの” 一瞬 ”でも忘れられる時間を作ってあげたい、と強く思い開催することを決めました。

「あるとき何かが起きて、
 どこか別の場所へ行かなければない」

それまでありふれた生活が一変し、不安と恐怖に駆られるのを自分だったら耐えられない。

様々な困難を乗り越えて、日本を選び、ゼロからの人生を築きにやってきたウクライナの人達をみんなで暖かく迎えたい。

日本人として、自分なりに何ができるのかを考え「経験」という場を提供することが今できる精一杯のことです。

少しでもこの土地・人に慣れて、次へと繋がる第一歩になればという願いでいます。

今まで流れてくる情報でしか分からなかったこと、考えもしなかったことを今回改めて知り、知ることの大切さを実感しました。

” 日本だけの”、" 地元だけの "、” 私たちの ” 常識や当たり前は、外へ出ると意図も簡単に崩れます。

「当たり前ではない」ということに気付かされました。

今回の経験は、私たちの身近な人達にも知ってもらいたい、そんな想いです。

いつ何時、同じ状況になるかもしれない。

そう思うと” 今生かされていることに精一杯感謝し、日々大切に生きよう ”と思いました。


そして1日も早く、祖国ウクライナへ帰れることを心から祈っております。



最後に・・・

このイベントに関わってくださった皆さま、関心を寄せて下さった皆さま、何よりこの状況下で参加してくださったウクライナの方々、本当に有難うございます。

同じ日本にいる仲間として、これからも助け合っていきたいです。

<誰かの書の言葉に共感し、願いを込めて書きました。どこかの誰かに繋がっていくように>


この記事はここで、全てとなります。足をとめて最後までお読み頂き誠に有難うございました。それだけで感謝の気持ちでいっぱいです。募金という形で参加したいと思って頂けましたら、この下の緑枠の「記事を購入する」ボタンよりご支援ください。この収益はウクライナ・日本の架け橋様へお送りいたします(9/30でこちらの募金は一旦締めさせていただきます)


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