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ロマンポルノと対峙した日々(「あの頃、文芸坐で」外伝)【30】倉吉朝子、斉藤信幸監督、「黒い下着の女」

1982年7月8日、文芸坐で007を2本見た後で、江古田文化に向かったらしい。そこで、2本のロマンポルノを見ている。この映画館でのロマンポルノは4本だてだったから、後2本は見ていたもなのか?見なくてもいいもんだったのかは不明。ただ、私はこの年の日本映画ベストワンに押した映画「黒い下着の女」を見ているので、体調が悪かったわけではないとは思う。その映画と珠瑠美監督作品「OL色情日記・後ろから責めて」を観ている。

先にその珠瑠美監督作品の話。いつもながらに買い取りの作品は、ほとんど内容が記憶にない。ただ、主演、水月円という記録から、女優の顔や裸体は思い出される。ロマンポルノというのは、そういうので良かったのである。白い肌、少し肉付きの良い身体。そして、そこそこの美人な女優さんだった。そういう記憶をリアルとはまた別に想起させるのが、当時の成人映画であり、その記憶は、今のAVとは全く違うものだったと言っていい。で、珠瑠美はこの映画の脚本を描いている木俣尭喬監督の奥さんであり、和泉聖治監督の義理のお母さんですね。この当時、女優やって監督やってた人ですので、まあ、なかなかすごいですは。

そんな、センチメンタリズムな話を書いてから「黒い下着の女」の話である。そもそも、倉吉朝子である。多分、私がロマンポルノの主演女優で誰が一番好きだったかといえば、彼女なのだ。

1979年10月、「団鬼六 花嫁人形」でデビュー。スレンダーな裸身を持った彼女のデビュー作がSMものというのも、不思議である。そして、次の年、「スケバンマフィア 恥辱」「スケバンマフィア 肉刑」でシリーズ主演を張る。そして、その後は脇にまわるが、今の年、突然主演復帰。二作の傑作を残す。一本はこの作品であり、もう一本は「絶頂姉妹 堕ちる」(黒沢直輔監督)である。この2本は、監督こそ違うが、脚本はいどあきお によるもの。私のロマンポルノ鑑賞史の中で、この2本はかけがえのない2本であるのだ。「黒い下着の女」を私が1位にした記録はキネマ旬報1982年度のベストテン号の読者のベストテンの一覧に記載されている。そういう事もあって、私にとっては大事な作品である。

話は、会社の金を横領した倉吉朝子と上野淳のカップルが逃げる話であり、最後には、なかなか悲しい死が待っている。当時、総じて言われたのはロマンポルノで「俺たちに明日はない」をパクったということである。そう考えれば、倉吉はフェイ・ダナウェイなわけだが、最後は、蜂の巣のように撃たれるのではなく、一発の銃弾に倒れる。このラストシーンは、思いっきり格好いい。

そう、全編に流れる劇伴は、「俺たち〜」を意識してカントリー&ウェスタンなのだが、この映画を見終わった時に象徴的に脳裏に残るのは、主題歌である、石黒ケイ「STORY」だ。男女の恋愛の終わりを、ボーイ・ミーツ・ガールの刹那い行く末を歌ったこの歌が、終わりがすぐそこにあるのに、必死に逃げ惑う男女の虚しさみたいなものを、思いっきり表現しているわけで、いまだに、この曲を聞くと、この映画のシーンをいくつも思い出したりするわけである。

男と女は、なぜ求め合うのか?そして、何故につがいとして同じ方向に進んでいくのか?男女のそんな哲学的なものが、みんな詰まっている映画である。そして、後半には、ロマンポルノには、珍しく子供が重要な役割を果たしていたりする。

とにかく、この頃の私は、ロマンポルノに破滅的な青春像を求め、それにシンクロしていくことで、その時の自分を肯定していたところがある。だから、この映画に心酔することは、多くの人にはあまりわかってもらえなかった部分もある。でも、私にとっては大事な映画だし、この映画での倉吉朝子の眼の鋭さ、そう、社会に対して反抗的なその眼力は、今も私を震わすエネルギーがあったりする。

そう、当時ビデオが手に入るような時代ではなかった。今で言えば映画泥棒というのだろうが、その後、映画館にラジカセを持ち込み映画の音を録音したテープを今も持っている。その映画館の中のノイジーな音がまたとても愛しかったりする。まあ、そんな思い出の映画がたまに脳髄を打ち砕くから、当時、ロマンポルノを見続けたのである。


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