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「あの頃、文芸坐で」【62】天才、中平康監督作品との遭遇。

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この連作、1ヶ月ぶりである。世の中がそうも上手く動いていかない中で、昔話をする気分になれなかったのだ。こう言う時ほど、新しいものを見たり聴いたり書いたりしたかったりする。不思議なものである。その一ヶ月前に書いた内藤誠監督のオールナイトの一週間後、1981年の12月5日、中平康監督のオールナイトに行く。彼のデビュー作は「狂った果実」。この映画があって、石原裕次郎が主演デビューをし、日活アクションの幕が開けた。そして、その閃光は、フランスまで届くことになった。そう考えれば、日本の映画監督として忘れてはいけない監督の一人だと思っている。

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まずはコラム。「文芸坐の喫茶店」のオープンの話。まだ、世の中はバブルの前だったが、こう言う多角的なことがさまざまに行われ始めていた。この喫茶店は、なかなか居心地のいい所だった。映画館の喫茶店というのもあったのだろう。そして、食事も美味しいものが多かった。後にもう一軒できることにもなるのだが、そういう多角化が映画館経営を救っていたのは一時のことなのだろう。倒産のニュースが入ったときには、「業務を広げ過ぎた」という見方もされたと思う。でも、私にとっては、ここは思い出の場所である。

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文芸坐は、「カーテンコール'81」の後に、「グリーン・ドア」と「カリギュラ」の二本立て。年末に何を見せるんだ!という感じだ。大晦日にこの2本を見て年越しした人もいるのでしょうな。まあ、当時は成人映画館が山のようにあったから、そういう人は多かったのかもしれない。しかし、マリリン・チェンバースという名前を久々に思い出した。最近は、欧米のポルノスターが日本で商売になることは、まずないですね。

文芸地下は、年の最後まで「ゴジラ特集」。年末の客があまり入らない時期(当時は確かにそうだった)お客さんを呼び寄せるゴジラ効果があったのでしょうか?

オールナイトは、中平康監督のあと、中村登監督、中川信夫監督と続く。この会社の枠を越えた毎週のオールナイト。デジタルの今にできたら、また通ってしまうのにと思いますよね。このプログラムが前売り700円で見られたんですよ。そのおかげで、僕の脳内の映画の記憶が成立したのは間違いありません。

ル・ピリエは、舞台、映画、コンサートと華やか。今、存在したとして、客半分にしたら、なかなか辛い会場でしたね。このクラスの劇場で潰れていったところは多いでしょうね。本当に、早く何とかして欲しいもの。

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中平康監督の名前を出しても、今の若い映画ファンは知る由もないだろうし、同じような時代を生きた人にその名前を言っても、知らない人は多い。だが「狂った果実」の監督だというと。「そうなのか。」と皆はいう。監督自体が初期にすごい傑作を残しているものの、晩年は酒と薬に溺れ、52歳で胃癌で亡くなった人である。ある意味、天才ゆえに、自分の思うような作品が作れなかったということはあると思う。

「狂った果実」

石原裕次郎の名前が出てくるごとに語られる映画だ。しかし、31歳での中平康のデビュー映画として、もっと語られるべきものだと私は思っている。そのシャープな演出が石原の演じる不良性を持った魅力を最大限に前に出している。随所に格好いい構図やカットがある。今の若い人が見ても、参考になる点は多いと思う。その映像は都会的であり、ポップだ。中平は、助監督として黒澤明や川島雄三に可愛がられたということだが、彼らとは全く違うセンスがあった。初期の数年間に撮られた日活映画に関しては、彼しか撮れないと思えるものが多い。その原点がこの映画だ。そして、私にはこれが彼の最高傑作にも見える。この映画をジャン=リュック・ゴダールが何度も見て「勝手にしやがれ」に影響を与えたというのは、結構有名な話であり、中平自身も自慢にしていたということだ。私は、この日初めてこの映画を見たのだが、とにかく「格好いい」映画だった。スタンダードサイズのモノクロ画面でここまで格好いい映画世界が作れるんだというのも印象的だった。そして、裕次郎と北原三枝のスターとしての佇まいも圧巻の映画だ。この映画が後に続く日活アクションの原点だと言われれば納得できる一作だ

「牛乳屋フランキー」

以前にもここで書いた作品だが、とにかく、この中には「狂った果実」のパロディーが出てきたりする。そういうこともできる監督だったのだ。4作目で初のコメディ。このスピード感あるスラップスティックな感じを撮れるのも中平の天才性をしめす。もちろん、フランキー堺という役者の凄さもあるのだが、今の時代に見ても笑える一作だ。この日は二度目の鑑賞だったが、細部を見る時間になっていたことを覚えている。当時としては、これだけ要素が満載の映画はそうそうなかっただろうと思う。

「紅の翼」

裕次郎主演映画としては、これが二作目。中平の裕次郎主演映画は「アラブの嵐」を除いておすすめできる。この「紅の翼」は血清を運ぶ裕次郎が運転するセスナが、悪党の二谷英明にハイジャックされる話。サスペンスとしてはよくできているし、中平演出があって成立したアクション映画といっていい。ただ、一緒にセスナに乗り込むヒロインが中原早苗というのが、少し他の裕次郎映画とは違って華が足りない感じが残った。ただ、終盤で裕次郎の妹役の芦川いづみが、空港で兄を語るシーンがある。結構、良いシーンなのだが、何か、その前後の雰囲気の中で浮いている感じで、場内から失笑が漏れたのを覚えている。後で見返すと、これは芦川のスターとしての存在感なのだと思った。ラストシーンはお正月である。この映画12月28日封切りのお正月映画だったのだ。

「月曜日のユカ」

今も、加賀まりこという女優を語るときに、よく出てくる映画である。この前作が吉永小百合主演の「光る海」で、この後が戸川昌子原作主演した「猟人日記」だ。つまり、この映画をきっかけに、中平康は作る作品の路線変更をしている。大人のエロチックな路線である。加賀まりこはこれが唯一の日活主演作。確かに当時の加賀まりこは小悪魔といって偽りない雰囲気を持っていた。だが、この映画、あまり期待してみると「なんだ?」ということになる。私もそうだったからだ。彼女と関係する男が次々と亡くなっていく話だ。そんな話にぴったりなのが加賀なのだが、映画全体のストーリーは凡庸。この映画の公開時、裏で松竹がオクラになっていた同じ加賀主演の「乾いた花」(篠田正浩監督)を急遽公開したのは有名な話だが、「乾いた〜」の方が数段素晴らしい映画であり、加賀まりこの演技もこちらの方が断然緊張感があって良い。比較するものではないが、加賀を語るならこっちである。この頃の中平は迷いの中に入っていく感じだったと私は感じる。

「闇の中の魑魅魍魎」

そして、独立してプロダクションを作って、カンヌのコンペに出した映画である。幕末の絵師の話で、今もまだ活躍している麿赤兒主演の映画なのだが、とにかく面白くなかった記憶しかない。まあ、オールナイトの最後で見て眠かったのもあり、起きると似たようなシーンが続くみたいな記憶しかないのだ。もう一度見直したい一作なのだが、みる機会もない作品でもある。

私は、中平康監督は天才的な監督だと思っている。だからこそ、結果的に迷い、苦しみ、早くにこの世を去っていったのだろう。このところ、「アマゾンプライム」に初期の彼監督の日活映画が入っていたする。今、確認したら12作品が見放題で見られます。ぜひ、興味のある方はご確認願いたい。「あいつと私」は大好きな映画だ。私も久々に中平ワールドに触れて勉強しなおしたいと思ったりする。そう、思わせる監督なのだ。

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