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「あの頃、文芸坐で」【87】ゴールディ・ホーンとスタートレックと・・・。そして、観客の意識のお話。

1982年7月24日、夏休み真っ盛りに文芸坐で「ファール・プレイ」と「プライベート・ベンジャミン」を観る。そして、28日には、やはり文芸坐で「スター・トレック」を観る。この時、同時上映の「レイダース 失われたアーク」は一度観たのでパスしたらしい。

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まずは、コラムから。村松友視著「私、プロレスの味方です」の引用から、観るという行為について書いている。そして、映画は、「創り手の技量と見る者の眼力の静かな決闘なのだ」と書いている。私も、ある意味そういう映画ファンであったのだと思うし、今でも、映画館通いをしているのは、やはりその作品に対峙して、感性をくすぐられるのが好きだからである。だから、「沈黙のパレード」の項で書いたように、上映中のスマホいじりなど論外だし、創り手の技量に目一杯を感じないものにも腹が立ったりする。多分、この間亡くなったゴダールの作品のようなものを観て、色々わかったふうなことを言いながら観る人々はかなりコアな存在になってしまったわけだ。そして、そんなコアな存在は映画には必要なものだと思っている。まあ、私がこの世を去るまでは、そんな蘊蓄並べて映画を語る文化は残って欲しいなと思う次第である。

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プログラムは、文芸坐は、「スーパーSF世界特撮映画大全」の後は、「エクスカリバー」と「タイタンの戦い」。当時から、私はこの手の映画に興味がなかった。だから、今のマーベル作品などにファンが多くいることが不思議でならない。まあ、洋邦問わず、時代劇というものに対し積極的に興味がない。歴史で興味ある近代でしかないのだ。下の方に小さく、ミュージカル特集の予告編大会って書いてありますね。これは、結構、好物です。

文芸地下は、SF特集、アイドル特集のあと夏恒例の「社会を告発する(反戦・反核映画特集)」。こういう映画特集は、最近はあまり積極的にやられることはない。実際はウクライナの事実を見れば、今こそ、こういう映画を積極的に見せる場を多く作らねばいけないのだと思う。本当に、安い料金でこういう遺産を見せる場所が昔みたいに欲しいと思うこの頃である。本当に、嘘つきの国葬などやる金があるなら、こういう文化遺産を有効に使うことを考えていただきたい。オールナイトは、増村保造2回の後は、マキノ雅弘監督と山中貞雄監督の特集。しかし、この当時、このプログラムが前売り800円で観られたんですよ。こういう場所が本当に欲しいのですよ。

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ということで洋画3本について

「ファール・プレイ」
図書館勤めのゴールディ・ホーンがローマ法皇暗殺事件に巻き込まれる話だ。あまり、細かい部分は覚えていないが、コメディサスペンスとして面白かった記憶はある。とはいえ、私はこの映画を見て、ゴールディー・ホーンのファンになった。その、クリクリとした目と金髪の美女という印象。そして、彼女、運動神経がいいのだろう、すごく動ける役者である。まだ、役者を続けているようだが、日本には入ってこないですね。残念。今、76歳、どう歳を取っているのか興味はあります。

「プライベート・ベンジャミン」
富豪の娘が、軍隊に入って騒動を起こす、コメディ。制作総指揮もゴールディ・ホーン。彼女のプロデュース作品は、異質な世界に飛び込んで、異質な活躍をするものというイメージ。その最初の作品だが、彼女の軍人姿が実に印象的であった。そう、この前テレビドラマ「悪女(わる)」を見てた時に、今田美桜の目だけ大きい女がゴールディ・ホーン的だと感じた。彼女にこういう喜劇を与えたらかなり面白いと思いますけどね、企画としていかがでしょうか?

「スター・トレック」
スターウォーズのヒットもあり、テレビシリーズの「スタートレック(宇宙大作戦)」の映画化となったわけですが、この映画、結構哲学的な感じの仕上がりになってるんですよね。やはり、テレビシリーズをそのままのテイストで映画にするのは、創作側が許せなかったのでしょうな。そう考えると、ハリウッドも、今は観客側につく感じの作品が多く、先に書いた、観客との決闘的なことはあまり考えていないですよね。その辺りに、やはり危機感を感じますけどね。

そう、そういう視点、論点で考えると、やはり、この40年前と今の映画と観客の位置関係みたいなものはかなり変わっているのがわかりますよね。いいとか、悪いとかではなく、今、映画というエンタメがどういう位置にいるのか、なかなかその問いに明確な回答ができない自分がいるのがもどかしいですな。


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