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「あの頃、文芸坐で」【46】鈴木清順オールナイト③和田浩治主演映画の時代

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文芸坐.001

鈴木清順監督のオールナイトの3週目は和田浩治主演作4本と二谷英明主演作1本。全てカラー作品。一応、当時のダイヤモンドラインのメイン作品である。カラーとは言っても、当時観たフィルムは退色が激しく、色がよくわからないものが多かった。

81年の5月最終週。このオールナイトの日の3日前には読売ホールで「魔界転生」の試写会を観ていたりしている。ジュリーの時代でもあったのですよね。この頃、新作は試写会で観ることが多くなっていた。

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まずはコラム。フィルムフェスティバルというものに寄せて、映画の歴史と想像について語っている。もはや、この文章が書かれた40年前に作られた映画は古典である。「スターウォーズ」の初期三部作でさえそこに入る。なんせ、映画がフィルムで作られない日がくるなんて、この当時考えてもみなかったことだからだ。当時、私はとあるメーカーで8mmビデオの機械設計に当たっていた。当時、家庭用ビデオがデジタルになるなど、遥か先と思われていた時代である。そんな時代に作られた映画が古典でなくて何なのだ?だが、その古典を観ていたからこその今の映画鑑賞があるというのは事実である。

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プログラムの目新しいところは文芸坐でポーランド映画特集として「地下水道」と「大理石の男」アンジェイ・ワイダ監督の名前も最近はあまり口にする人も減ってしまったが、映画は存在する。これも古典として観続けられるべき映画だと思う

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「くたばれ愚連隊」

まず、和田浩治という役者は、60~61年当時、日活ダイヤモンドラインという、プログラムピクチャーのメインの役者の一人という位置づけ。裕次郎、旭、トニーにつぐ「小僧アクション」として日活のスクリーンを飾った。当時、若干16歳。今で言えば、アイドルである。作品を見ても、日活アクション自体のパロディ的なものが多く、メインだが、少し客層は違ったのだろう。その和田浩治の主演作が鈴木監督の元に多くあてがわれたということだ。だが、これにより監督はカラー映画を撮ることができるようになる。そういう意味で見ると、面白いのだが、まだまだ清順美学的なものはここでは観ることはできない。だからこの映画は、初カラー作品。原作は、渡り鳥シリーズと同じ原健三郎。和田浩治が淡路島の金持ちの隠し子で、その土地を買収しようと企むやくざと闘う話。ヒロインは清水まゆみ。調べると彼女、この時和田より4歳上の20歳。企画から、めちゃくちゃだが、そういうことがわかってみると、和田浩治という役者が天才に見えてもくる。監督の技量かどうかはわからない。

「東京騎士隊」

これも、原健三郎原作作品。と言っても、ほぼヤクザ相手のわかりやすい話である。ここでの舞台は高校だと思う。学生対ヤクザの話。和田は金持ちの御曹司。ヒロインは清水まゆみ。友人の役でかまやつひろしが出ている。彼も当時21歳である。監督的には、色の使い方がこなれてきた映画だと思う(ただ、当時は退色フィルムで観たのでそういうこともよくわからなかった)

「無鉄砲大将」

ここでの和田の役柄は高校の空手部。タイトルバックに空手の練習風景が出てくる。ヒロインは清水まゆみだが、彼が姉のように慕う芦川いづみの存在が大きい。芦川と和田の共演は少ない。鈴木監督の映画に芦川が出ているのも珍しい。この辺も格の違いが確実にあったのだろう。話は、空手部の学生がヤクザを退治する話である。

「散弾銃の男」

鈴木清順監督による、唯一の二谷英明主演の映画である。ここでは芦川いづみがヒロインとして出ている。体裁は、ほぼ西部劇である。こういう無国籍な感じは日活アクション的で面白い。話は、ぶらりとある街にやってきた風来坊が実力者の用心棒として働き、結果、彼が麻薬捜査官だったという、無理やり話。オールナイトで観たときに、突然、二谷がギターを持って歌い出したときに映画館が爆笑に包まれたのを覚えている。

「峠を渡る若い風」

この日観た作品の中では、最もできの良い作品。下着工場のアルバイトをしていた大学生の和田が、工場がつぶれ、下着を売ろうと旅に出る。そこで出会った旅の奇術団との話。金子信雄が奇術団の男を脅かしたり、つぶれそうな奇術団を救おうと団長の森川信が、水中大脱出を失敗したりと、見せ場があちこちにある映画。そんな中、祭りの縁日で和田が喧嘩になり、氷のシロップをかけられるシーンがある。かかるシロップがかけられるとシャツの色が変わるというような清順美学前夜みたいなシーンも出てくる。ヒロインの清水まゆみは奇術団のヒロインでもあり、この映画では存在感が大きい。あと、星ナオミ演じるストリッパー姿も印象的だった。清順監督の和田浩治映画では、最も出来のいい一本だと私は思っている。

初期、和田浩治の映画を今でもそれなりに観ることができるのは、鈴木清順がそれを監督していたからというのが大きい。そういう意味では、映画というのは集団で作るもので、その中の誰かが出世すれば、それなりに残るものだということを明確にした作品群である。

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