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ロマンポルノと対峙した日々(「あの頃、文芸坐で」外伝)【28】五月みどりという、日本の熟女コンテンツの始まり

1982年6月19日、文芸地下で「十九歳の地図」を観てからの、高田馬場東映パラスでの「マダムスキャンダル10秒死なせて」と「悪魔の部屋」の二本立てを観に行く。この頃は、本当に、映画に関してはフットワークが良かった。インターネットなどない時代。「ぴあ」の映画欄を眺めながら、映画を追うという中で、「ロマンポルノ」を一本でも多く観て、自分しか知らない傑作を見つけようと歩いていた感じだった。

「マダムスキャンダル10秒死なせて」
そんな中での五月みどり主演の初ロマンポルノ。当時、五月みどりは43歳。最近の感覚だと、その歳でヌードになることは、それほど不思議ではなくなったが、この当時はかなり特異だった。だいたい、ロマンポルノの主演をはってた女優でも、長くても30歳手前くらいには、この世界を去っていった頃であるから、まあ、熟女と呼ばれる先駆けみたいな人ですよね(当時そんな言葉なかったけどね)。彼女の場合、まずはヌード写真の発表から始まって、1975年には「五月みどりのかまきり夫人の告白」で映画で脱ぐことになる。この時はまだ36歳。それでも、プレイボーイなどに記載されるほど、若者までを唸らせたのは、大したものである。個人的に言えば、確かに綺麗な人だったが、それほど好みでもなかった。そして、裸体もそれなりに疲れた感じだったし、彼女にエロを感じたかというと、そうでもなかった。あくまでも、お騒がせの人であり、裸で食い繋いでる感じもした。

映画の内容といえば、あまり覚えていないが、あらすじを見ると、ロサンゼルスを舞台にした話。確実に内容は忘れている。相手役は小松方正、中丸信、とそれなりの役者を使って、外人との絡みもあっただろうから、それなりに五月みどりの顔は立てた大作?という感じだったとは思う。監督も西村昭五郎だし、その内容よりも、ロマンポルノとしての体裁をちゃんと作ればいいというところだったのだろう。そして、当時の40過ぎの女性の身体のイメージは五月みどりのそれだった。それに比べると最近の女性は本当に変わったと思ったりもしますよね。あくまでも、五月さんは和服が似合うところもあり、興行的にそれなりには入ったのだろうから、良しとする映画だったと思います。

五月さんが脱いだ後、この路線が色々流行っていたが、その中で松尾嘉代がいましたよね。今更思うんですが、当時、彼女に、にっかつはロマンポルノ出演を誘わなかったのでしょうかね?往年の日活出身女優で、その可能性があったのは彼女だけだと思うので、少し気になりました。

「悪魔の部屋」
笹沢佐保原作の、金持ちへの復讐のために主人公の嫁が陵辱され、最後には彼女も犯された男と金を奪って逃げようとする話。雰囲気的には覚えているが、作品として当時の評価はまあまあ、「マダムスキャンダル〜」がかなりつまらなかったらしく、その相乗効果でそうなってる感じもある。まあ、私的には、そんな作品評価よりも中村れい子主演というところが大きい。彼女のロマンポルノ主演作は、もう一本「ズームアップ卒業写真」というのがあるが、やはり最も印象に残っているのは、主演作ではなく「嗚呼!おんなたち猥歌」の看護婦役だろう。「水のないプール」にも共演しているが、内田裕也との共振性みたいなものはあった気がする。とにかく、当時、本当にいい女であり、スクリーンに向かうと唇に吸い込まれそうな感じだった。こういう雰囲気の女優さんは今居ませんよね。そういう意味では、今も記憶に残る女優さんであり、その初主演映画がこれです。あと、デビュー作は同じ曽根中世監督作品「博多っ子純情」で、光石研と同じデビューなんですよね。そんな作品以外のことを色々考えたりしますが、今、中村れい子はどこでどんな生活をしていらっしゃるのでしょうか?今、62歳のはずですが、いい女のままで居てくれることを祈ります。

ちなみに五月みどりは今、82歳です。と考えると、昔の話だなと思いますよね…。

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