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「あの頃、文芸坐で」【43】ウディ・アレンの映画にニューヨークを思う「アニー・ホール」「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」

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1981年5月5日、こどもの日に文芸坐でウディ・アレンの二本を見る。ウッディ・アレンの映画のリズムみたいのは好きなのだが、如何せん、英語のジョーク的なものが理解できないモヤモヤが本当に辛い映画という印象だった。

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まずはコラム。「どんなツマラヌ映画でも幕が閉まるまでシッカリ観るということ」という映画へのリスペクトであり、エチケットのお話。私も、この当時から、どんなツマラヌ映画でも、寝ることはあっても、席を立つということはしなかった。だが、周囲のファンの中には、結構、途中で席を立つという話は多かった気がする。当時は、映画館は途中からも出入り自由で、何度でも繰り返し観ることができる時代。映画の途中で席を立つひとは結構いた。そして、邦画は二本立てが基本だったから、添え物映画がつまらなくて途中で帰るという人も多かった気がする。そのくらい、映画館との関係は自由だった。それを思い出して現在を考える。昨今の全席指定入れ替え制のシステムの中では、「途中で出る」という人はほとんどいないのが現実である。それなりのお値段を払っての映画鑑賞、つまらないから「やーめた!」という感情はなかなか起こらないのはわかりますが、映画興行で無理につまらないものを最後まで観る必要性をみんなが同じように思っているかは疑問である。私的には、どんなにツマラヌ映画でも、最後の最後に凄いシーンがあるかもしれないと思って、見ているのである。エンドクレジットの途中で立てないのも同じである。

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プログラムを見ると、文芸坐はPFFの後に「第7回フィルムフェスティバル イタリア篇」ヴィスコンティ、ベルトリッチ、フェリー二という監督の名前が並ぶのが壮観。昨今は、こういう巨匠がイタリアにはいないということですかね。少し、エロティックなイタリア映画が懐かしいです。

文芸地下は、この間語ったところから新しいところなし、オールナイトは鈴木清順監督特集が続くので、後で書かせていただきます。

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「アニー・ホール」

こういう作品がアカデミー賞の作品賞、監督賞をとったということは、意外性があったことは確かだ。そして、ウディ・アレンは授賞式にはこなかった。ハリウッドには背をむけた監督というのが、当時から私には格好よかった印象。そして、相手役であり、恋仲だったダイアン・キートンが好きだった。この映画は、風体の上がらないコメディアンが、何故かモテるという話。その中に、世の中の苛立ちを言葉で発する主人公。だが、当時から言われていたが、彼の映画のギャグが日本語字幕ではよくわからない。映画館に外人がいると、笑いのつぼが全く違うことを味合わされる映画である。だが、基本的に喜劇役者面をしている彼の挙動を観ているだけでも面白かったというところはあった。そして、恋愛話はわかっても、ニュアンスがいまいちわからないという感じ。それは、今見ても同じだろう。日本語で、こんな風な映画が撮れたらいいなと、この頃から思っていたりする。

「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」

彼が監督賞を獲って、「アニー・ホール」がそれなりに客を入れたことで、日本公開になった1972年の作品である。題名通りに、SEXにまつわる7つのオムニバス作品なのだが、覚えているのは、ウディ・アレン自身が精子の役をやって、競争する話だけ。まあ、全部、それなりに面白かったらしく、当時の私の評価も高くしてある。

兎にも角にも、ウディ・アレンの映画というものをこの時知って、それ以降、愛好している私である。この間観た「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」も彼らしい恋話でなかなかよかった。やはり、こういうニュアンスの恋愛映画を作りたいと再度思った次第。少し、古い作品、見直してみましょうかね…。


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