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「あの頃、文芸坐で」【57】戦争映画を観ることは日本人の義務だと思っている。「ひめゆりの塔」「子どものころ戦争があった」

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文芸坐.001

1981年の夏の話。8月16日には、今は亡き、日比谷有楽座で「連合艦隊」(松林宗惠監督)を観る。東映がこの前年に「二百三高地」を大ヒットさせ、東宝も8.15シリーズ復活となったわけだが、その第一段が戦艦大和の最期を描く話であり、監督が当時61歳の松林宗惠氏だったというのも、当時の映画製作があまり新しいものを求めていなかったことがわかる気がする。この時、この映画に対して戦意高揚だと反旗を翻していた人もいたが、歴史の事実は映画でちゃんと伝えなければいけない。この映画がそれをちゃんとできていたかといえば、それほどできてはいなかっただろう。新人、中井貴一が特攻として朽ちるシーン、その父親役の財津一郎が浜辺を歩くシーン。そこに被さる谷村新司の「群青」。そこだけは見応えがあったが、それだけだった映画だ。そして、この時代にそれを描くべきなのかという意味はあまり感じなかった(反戦は時代を選ぶべきものではないと思う)

そして18日には、ヤマハホールで「無力の王」(石黒健治監督)の試写会を見ている。高樹澪、柄沢次郎主演の青春映画だが、まあ、勢いのない無力な映画だった記憶しかない。ある意味、片岡義男の小説的な青春映画を撮りたかった人が多かった時で、その出来損ないみたいなものも多かった。そういう目で時代を振り返るフィルムとしては面白いかもしれない。

そして、23日「ひめゆりの塔」(1953年版)と「子供のころ戦争があった」をこの日観た。

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まずはコラム。友達が27歳不慮の死を遂げて、その思いを語っているのだが、今年は、多くの最前線にいる俳優の皆さんが思わぬ終幕を区切ることがあり戸惑う一年だった。また、この年末に有名な人もそうでない人も幕を閉じようと考えている人が多くいる気がする。本当に、思いとどまってください。きっと来年生きていればいいことがありますから!

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プログラムは、文芸坐はウェスタンカーニバルまででこの間から動きなし、文芸地下はこの間のプログラムにもあった今はスタジオジブリの三本立て。よほどお客様が入ったのでしょうね。そして、「スニーカーぶるーす」と「翔んだカップル」。考えればたのきん映画も40年前のものなんですね。この辺りもストリーミングを開放すれば結構観る人いると思うんですが、ジャニーズは色々映画界としても面倒臭い存在ですね。

オールナイト、日本映画監督大事典は田中重雄監督と谷口千吉監督が追加になっております。谷口千吉作品は、今でもまとめてちゃんと観てみたい気がしています。

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「ひめゆりの塔」(今井正監督)

この日観たのは1953年の初映画化のものだ。映画化と言っても、原作があるわけではない。当時の名脚本家、水木洋子によって書かれたオリジナル作品を今井正が監督したもの。先生の役に津島恵子、岡田英次。生徒の役に香川京子、関千恵子、小田切みきなど、当時の東映にしては、1950年に「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」のヒットもあり、同じようにこの映画にも力が入っている感じだったのだろう。結果は、この年度の興収第1位になっている。130分の中、特に後半は暗い中での戦闘シーンが続く。その陰鬱さが当時の悲惨さを物語る映画だ。まだ、作り手のほとんどが戦争を経験し生き残った人たちだったから、この映画のリアリズムはとても有機的に感じる。監督今井正も、真っ向から戦争反対の立場だったからこそ、戦争が悲惨でしかないという映像が紡ぐことができたのであろう。もちろん、ここで一般市民や何の罪のない女子学生が死に至らなくてはならなかったという現実を今に伝える大事な映画だと、この日に見てもそう思ったと思う。これを私が観た次の年に、今井正監督はカラーで再映画化を試みる。沖縄本土でのロケが可能になっていたこともあり期待されるが、結果的には、この1953年版のコピーであり、超えるものはできなかった。この題材は全部で5回の映画化が行われるが、この第一作を超える厳しい映画に仕上がったものはない。この映画は、戦争を体現した人たちが作った映画であることがとても有益なのだ。そういう意味でも、常に観る機会を作り続けて欲しい映画である。

「子どものころ戦争があった」(斉藤貞郎監督)

この年の2月に公開された映画である。日本児童文学者協会と日本子どもを守る会が編集した「語りつぐ戦争体験」の中の“泥血の少女の死”を中心に映画化したものだという。アメリカの父と日本人の母の間に生まれた混血児が終戦間近の日本で土蔵に隠されて暮らしていたが、それを知った従兄弟との交流の中で死を迎えるまでの話。絵的なものは、結構記憶にあるのだが、どう言う悲惨なラストだったかがいまひとつ思い出せない。とはいえ、当時の私の評価はイマイチであるから、反戦映画として残るものではなかったのだろう。こう言う地味な反戦映画は多くある。だが、こう言う映画は観続けられて意味を持つような気がする。

そう言う意味では、社会告発的な映画を集めてストリーミングで見せていく環境があってもいい気がする。戦争がこの世から無くならない限り、反戦映画は作り続けられるだろうし、映画はそれを告発するメディアとしてはとても貴重なものだと思う。「ひめゆりの塔」のように、当時、生きていた人々が作った映画も多く残っているのだから…。


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