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「あの頃、文芸坐で」【77】1982年の自主映画事情みたいなもの「赤すいか黄すいか」「フルーツバスケット」

1982年5月6日、文芸坐ル・ピリエで「赤すいか黄すいか」「フルーツバスケット」の2本立てを見る。

4月29日には、新宿京王で「レッズ」を見る。ウォーレン・ビーティーとダイアン・キートン主演の映画で封切りを見に行った。私は結構好きな映画だ。そして、5月1日には「松竹大宮ロキシー」に、「転校生」と「オン・ザ・ロード」の二本立て。大林宣彦と、ピンク映画で監督をしていた和泉聖治の初メジャー作品という、変な組み合わせだが、この年の日本映画を代表する映画の二本立てと言っても良い。でも、興行的にはまあ失敗だった。いまだに「転校生」の信者は多いが、これを封切りで見ている人はあまりいないと思う。というか、私は大林映画は苦手なので、この日も「オン・ザ・ロード」への思いが強かったと思う。2日には、16mmでフェリーニの「道」を見て、5日は自主映画の上映会。まあ、いろんなところに顔を出していたものと思う。インターネットのない時代、「ぴあ」などの情報誌を見ながらうろうろする私であったのだ。その、うろうろした映画館はほぼ今はないが…。

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まずは、コラム。特別興行の話。40年前、名画座というものが生きずらくなったという話である。でも、この日見た「フルーツバスケット」と「赤すいか黄すいか」はこのロードショーのために作られた16mm作品であったとかは、まだまだ映画で色々やれるだろうと模索していたことを感じる話。文芸地下で洋画を流す話は、なんかせちがない。興行の期限みたいなものがある洋画と、そういうものはない自国の映画を一緒に考えると面倒臭くなると思うのだが…。「ブリキの太鼓」や「木靴の樹」など、そういう映画が特別視された時代でもありましたね。

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そして、プログラム。文芸坐のフィルムフェスティバルは、アカデミー賞作品。最近では、小粒なものも多くなってきましたが、この当時にこういう企画をすると、やはり気持ちが高揚する並びになりますね。文芸地下は、日本映画脇役列伝3「追悼・志村喬」。志村さんは、この年の2月に76歳で亡くなったのですね。それで驚くのは「生きる」を撮ったのは47歳の時なんですね。今の47歳であんな演技できる人はいないでしょうな。時代はそういう時代だったということ。その「生きる」も含め、志村さんの業績が明確にわかるプログラム。昨今は黒澤プロが黒澤作品の二本立てを認めないとか、「ばっかじゃなかろうか?」と思う状況もあるのを考えると贅沢なプログラムですね。ル・ピリエも、イタリア映画特集とか、「闇打つ心臓」と「闇のカーニバル」の二本立てとか、色々と楽しいプログラム。オールナイトは、深作欣二監督の2回目が追加!まあ、全て傑作と言っていいですよね。でも「資金源強奪」とか「県警対組織暴力」が入っていないのはちょっとプログラム的には弱い感じ。

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今関あきよし監督は私と同学年、犬童一心監督は、私と同じ年の生まれである。つまり、二人とも同世代。私が、まだ大学で、いや映画館で悶々としてる間に、彼らは映画監督の道に入っていたということである。文芸坐が絡んで作られた作品が「フルーツバスケット」と「赤すいか黄すいか」というこの16mm映画。今も、アニメ界はロリコン的な世界を徘徊している作品が多いが、この頃の同世代もそんな感じだった。いわゆる、もう一つ上の世代、大森一樹や長崎俊一などとは違った柔い世界で映画を撮っていたと言っていい。そして、それは大林宣彦監督の世界と寄り添うような部分もあり、私はどうもしっくりこなかった。そして、この日観た、この2本の内容はほとんど覚えていない。ただ、可愛い娘を可愛く撮りたいだけではないか?としか思えなかった。だから、今関氏が、逮捕された時は、「そうだろな」と思ったりもしたのだ。犬堂監督は、今や立派なメジャーな監督だが、まだまだ、もっと撮れる人だと思っている。いまだ、世界感は柔い感じだが、それはなかなか変えられないのだろうなと思ったりする。今関監督も精力的な映像活動はやっているようだが、メジャーな映画で勝負して欲しい気もする。とにかく、同世代の監督には頑張っていただきたいのだ。

そして、日本の自主制作の土壌ももっとアグレッシブになることを望むばかり。映像は、デジタルになって、確実に新世紀に入っているのだから!そう、とびきりかわいい娘をとびきり格好よく撮れる時代でもある。40年前のロリコン嗜好など、今考えると恥ずかしい面の方が多いよな…と思うのだ。

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