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「あの頃、文芸坐で」【25】陽のあたらない名画祭にて その2「原子力戦争」「悲愁物語」

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そう、この間、書かなかったが、「陽のあたらない名画祭」に入る前に、シネマプラセットで鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」を観ている。清順美学2幕の始まりをリアルに観られたのも、今考えれば嬉しい限りだった。そしてその2日後に封切りで松田優作の「野獣死すべし」(村川徹監督)を池袋東映(旧シネマサンシャインの場所にあった映画館)で観ている。なかなか今考えればディープな映画三昧が続いていた。

そして、「陽のあたらない名画祭」は前回の4日後に「原子力戦争」(黒木和雄監督)と「悲愁物語」(鈴木清順監督)を観にいっている。「ツィゴイネルワイゼン」を観た後の「悲愁物語」はなかなか凄い体験だったと記憶する。

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コラムは、いい映画を観た後の余韻のお話。昨今は情報過多で、インターネットでいつでも、いくらでも映画コンテンツが観ることのできる時代。映画館もシネコンのスクリーンで垂れ流し感が強いので、ここに書かれているように映画一本に対しての余韻というものを感じることも少ない感じもする。私は、年に1.2本ある至高の作品に出会う際には、スクリーンの前で「終わるなよ」と唱えることがある。余韻というよりは、その映画にずーっと向き合っていたいという気持ちが強いのだ。今年はまだそういう作品には出会えずにいる。ここにある、余韻感というのは、確かに昔はよく感じた気もするが、映画を観る環境がなかなかそうしなくなったのでしょうね。

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文芸坐には「マッド・マックス」が登場。この一作目はオーストラリア映画と言われて驚いた覚えがある。そういう観点から見ると、当時は今よりも多様な国の映画が観ることができた気はする。ただ、韓国をはじめアジア系の映画は観る機会がなかった。映画館の数が限られているのもあるが、なかなか、満遍なく世界の国の映画が観られる環境はできないものだと思う。

文芸地下は森崎東監督の「喜劇 女生きてます」と小林俊一監督の「新 男はつらいよ」山田監督以外の寅さんがこういう形でかけられることは最近ではないでしょうね。

オールナイト「日本映画監督大事典」には沢田幸弘の登場。日活ニューアクションというのは、映画黄金期の終焉期の仇花であり、今観ても鮮烈な映画群。こういう映画が作られた時代に私は今も憧れていたりします。1970年代初頭、今から半世紀前のお話ですが、この当時1980年だから作られてから10年しか経っていなかったんですよね。でも、この映画群を認識していた大学生は稀有な存在だった気がします。そう、その10年で時代はすごい変容をしてしまっていたのですよ。

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そしてまず「原子力戦争」。黒木和雄監督といえば、「祭りの準備」と「竜馬暗殺」。それらに比べれば知名度の低い作品ですが、3.11の原発事故があった以後は、話題の映画。ということで、当時この原発マネーの映画を観ても今ひとつピンときていなかった気がする。それほど、学生としても関心が薄かった。もちろん、先に観た「チャイナ・シンドローム」などを観て、原発に対する危うさは知っていたものの、日本人は自己の技術に対してかなりの過信があった気がする。自分もエンジニアの卵になっていて、同級生に「原発関連に進みたい」という話も普通にあった。考えれば、この頃にもっと国の目論見を強く追求していれば、福島の悲劇も回避できたか、もう少し小規模にできたかもしれないと思う。それはともかく、この時はこの映画にそれほどの恐怖感は抱かなかったのは事実である。所詮、お気楽な大学生だったのだ。怖いと感じたのは山口小夜子の異様な存在感だったかもしれない。

そして、鈴木清順の怪作「悲愁物語」。まあ、観終わった後の不思議感というか、「なんだ?」という印象はなかなか凄いものであった。先に書いたように「ツィゴイネルワイゼン」を観た後の「悲愁物語」だったのだから。その怪しさは、上に出した写真を観ていただいても理解できるのではないでしょうか?ゴルフ場で水着を着ている。そんな映画なわけです。製作は梶原一騎率いる三協映画。そういうこともあって、女子プロゴルファーの成功から転落までのお話だ。鈴木清順、10年ぶりの映画。そんな満を期しての一作がコレ?というのもこの監督らしいところである。主役は「あしたのジョー」のヒロインの名を与えられた、新人、白木葉子。この人、この映画の後、桜田淳子の「愛情の設計」に出ているだけですね。名前負けもいいところであります。内容としては、「バーディーショット!」の声が繰り返されることと、主役を追いかける役の江波杏子の怖いというか、面白い行動。ファンとして裏切られ、白木にサインを書いてもらった色紙を包丁で切り刻むシーンが今も脳に刻まれている。恐怖を切り刻むことで表すのって、清順的な演出でもあるんですよね。映画のできよりは、そういうシーン毎の変わった部分で話が進む一作。こういう映画も、現在では作られることもないでしょうね。鈴木清順って今考えれば、カット割や表現方法がデジタルだったような気がします。そう、デジタルで作られた清順美学も観たかったなと思う今日ですね。その辺りは黒澤明よりも数段興味がありますね。



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