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「あの頃、文芸坐で」【38】80年代、男の描く女性像「幸福号出帆」「四季・奈津子」

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プレゼンテーション 63.001

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1981年3月。大学二年になる春は、毎週のように映画館に通っている。ここから2年間くらいで映画館で学んだことが、今に結びついている感じはする。こんな不確定な未来は想像していなかったが…。この日は「幸福号出帆」(斉藤耕一監督)「四季・奈津子」(東陽一監督)の2本を観る。

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まずは、コラム。期限や締め切りの話。図書館の本はただで借りられる分、読まないで返すことも多かった自分。ここに書かれていると同じように、切羽詰らないと頭が回らないタイプである。とはいえ、このnoteに毎日書くという習慣は何故か続けられている。そうは言っても、他人に言われてやるということがダメなのと、まだまだ、時間の使い方がうまくないのは変わらずであります。

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プログラムを観ると、文芸坐では「ジョーズ」と「スター・ウォーズ帝国の逆襲」の二本立て。これが400円で観られた時代なんですよ。今では、月1000円も支払えば、多くの映像にリーチできる時代ではあるのですが、映画館でこのくらいの価格で名画を観られる時代ってやっぱり贅沢だったと思うんですよね。

文芸地下の青春映画特集の全プログラムが出ている。なかなか、今では出来ない番組が多い。この中の2プログラムを私は観に行っている、それは後日。

オールナイト「日本映画監督大事典」は、春原政久監督が登場。この名前読めますか?これで「すのはら」と読むことは、この時知った私です。日活で小品を結構な数撮っている職人ですね。文芸坐のこのシリーズは、私に映画監督の存在と名前自体を覚えさせる番組でもありました。

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そして、この日の2本について、まずは「幸福号出帆」。三島由紀夫の原作を斉藤耕一が監督。共に好きなクリエイターだったので、作品の凡庸さにガッカリという印象。三島の原作が時代に合わなかったのもあるが、斉藤ももう初期の瑞々しい映像を作ることはなかったというところ。三島は、小説の中で、それなりに現代の女性像みたいなものを書いた人だと思う。だが、それが80年代のその時にはもう、決して新しく感じなかったということもあるのだろう。時はまだ男女雇用均等法も出来ていない男社会、そこの対峙する女たちを男の作家が描くというのは、「俺も分かってはいるのだ」という言い訳みたいなものでもあったのかもしれない。

この話は、遺産をめぐるサスペンス的なお話だが、映画の内容はほとんど覚えていない。藤真利子が出ていたのは覚えている。最近、ショーケンの映画がよく流れる中で斉藤監督の「約束」が多くの人に観られているようだが、他の映画はもう観られる機会がないものが多い。これもその一本だ。

「四季・奈津子」。当時、「サード」「もう頬杖はつかない」のATGの映画二本で名が上がり、東映の資本で、五木寛之のベストセラーを映画化したもの。波留子、布由子、亜紀子の四姉妹物語の最初の作品。先にも書いたが、この映画試写会で観ていて、この日は2回目。そういう意味では、いろいろ覚えている。ドキュメンタリータッチで、その時の、女優、烏丸せつ子の心と身体の主張が見えてくるような作品で、私は好きである。こういう映画、最近撮る方いないですよね。上の写真、阿木燿子と重なるように寝て、心拍を合わせるというシーンだが、印象的だった。

烏丸せつ子、半年前には、朝ドラ「スカーレット」に出ていたが、あの、周囲を構わない性格の役は、奈津子が年老いたようにも見えた。

これも、男が書いた当時の女の理想像みたいなものを、男の監督が妄想するユートピアの中に映像化したような作品だ。今だったら、この題材は、女性監督のところにいくような気もする。この当時、今はあまり言われない「女性映画」というくくりがあった。そういうものは、あくまでも男の視線があってのものだった気がする。そういう視点から見れば、当時の日本映画など、男のためのものだったのかもしれない。ロマンポルノなどはその象徴であり、この映画の監督、東陽一はこの後、それを撮ることになる。

五木寛之の原作は、4部作として書かれたが、映像化されたのはこの作品のみ。再度、現代に書き直して、4部作として映像化していただきたい気もする。

まとめとして思うこと。40年前は、今とはジェンダー認識が全く違っていることに改めて驚いたりもするのです。


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