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「あの頃、文芸坐で」【10】青春を彷徨う中で観た「二十歳の原点」「阿寒に果つ」

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1979年7月末、2浪生としては、ただ悶々と、心はくだっていくばかりの1979年であった。この年は何があったかと調べると、テレビ朝日で「ドラえもん」放送開始、江川卓、駄々を捏ね通して巨人軍入団、ソニーのウォークマン発売。と言われれば、そんな時代だったかとは思う。まあ、この日、気晴らしに「阿寒に果つ」と「二十歳の原点」を観ている。考えれば、PCもテレビゲームも、ビデオもまだ家にはない時代である。テレビを観ていれば家の人に勉強していないと思われる、本当に苦渋の日々であった気がする。今考えても辛すぎるが、ここでのネタになる人生であったわけだ。

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コラムには、オールナイト「日本監督大事典」で大森一樹監督が自分の今まで撮ったフィルムを持って、映画をかけながら語るという企画のお話である。大学受かっていたら、必ずや行っていたであろうと思うわけで、ドラえもんに頼んでタイムマシンで行きたい気分である。

ついでに、他のオールナイト番組を見ると、まず「恩地日出夫監督特集」。やはり、恩地監督といえば、内藤洋子、酒井和歌子というイメージ。内藤洋子の「伊豆の踊子」は、私的には、数々撮られた同名映画の中で最も好きな作品である。「活動に連れて行ってくださいね」と黒沢年男に頼む内藤の姿が忘れられない。また「恋の夏」「しあわせ」という二本はまず今は観られない作品だろうと思う。「しあわせ」はあとで綴る「二十歳の原点」に続く角ゆり子主演作品だ。

そして、小川欽也監督、原悦子主演のピンク映画六本だて。当時、ピンク映画の百恵ちゃんと呼ばれた原悦子。今見ると、田舎っぽい感じなのだが、まあ、百恵ちゃんも、デビュー時は垢抜けなかったものね。しかし、文芸坐の大画面で大蔵映画が六本立てで続けてかかったって、この時くらいじゃないのかな?もう、なんでもありの時代ですな。

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まず、「ルパン三世」の劇場用アニメ一作目が文芸坐でかかっているというのは、やはり夏休みもありお客様が入るということなのだろう。「死亡遊戯」と併映というのも、威力ありますね。この当時、まだまだアニメは映画館では異端児だったのだ。

そして、「スーパーSF=世界特撮映画大全PARTII」2日変わり21本は圧巻。少しホラーも入っているが、これだけ並べられると観たくなりますな。今は版権があっても、ビデオの発売の絡みや、多分安い価格でかけられないという現実もあり、こういう企画は難しいのでしょうね。一本立て500円で、シネコンでこういう連続上映していただきたいものですよね。

文芸地下は「青春ひた走り 傑作青春映画集」の日替わり二本立て。題名だけ見ても、今の高校生もの映画に比べ、シンプル。そして、内容はやはり貧乏くさい題材が多いのも事実です。甘酸っぱくも先が見えないのが「青春」だった感じですかね。

そして「ゴルゴ13・九竜の首」「殺人遊戯」のアクション二本立て。その後が何故にこの組み合わせかわからないが「さすらいの恋人 眩暈」「トルコ110番・悶絶くらげ」のロマンポルノ二本立て。「さすらいの恋人 眩暈」は素人が他人にSEXを見せて金を取るという映画。ロマンポルノの傑作の一本とはされている。主題歌が中島みゆき「わかれうた」だったりするのが印象的。もう一本は、見た気もするがよく覚えていない。原悦子主演のロマンポルノである。まあ、トルコと言っても中東の話ではない。

そして、その後が、「社会を告発する!PARTⅡ」。当時、文芸地下では、敗戦の日の前後に、その周辺を描いた映画を特集していた。私も、結構この関連の映画をここで見た気はする。戦争を語り継ぐ上で大事な事なのだ。本当は、東宝あたりが、シネコンで夏に「8.15シリーズ」を毎年連続上映してもいいくらいだと私は思う。

そして、最後に「第6回 陽のあたらない名画祭」のリクエスト用紙である。洋画の場合、版権があり、そうなんでも上映できるわけではないが、ここにある映画って、今でも存在すらも知らない人が多々ある映画がいっぱい。まあ、見て話すだけで時間が経ちますよね。そういう意味では、こういうリクエスト企画をシネコンでもやっていただきたく思いますね。本当に、今回のことで、映画の今後が見えない時ですから、映画館で映画を観る映画文化を広めるためにも是非!

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で、「阿寒に果つ」(渡辺邦彦監督)については、以前、少し書いたので重なるが。結構変な映画である。五十嵐淳子の初ヌードが話題であったとともに、当時の東宝が百恵ちゃん抜きで売り出したかった三浦友和が相手役。天才画家役の五十嵐が、年上の師匠や、姉役の二宮さよ子とも絡んだりする。最後は、題名通りに死に至る映画である。内容は、特に評価できるものではないが、木村大作のカメラは、五十嵐淳子の美しさと、北海道の自然を見事にフィルムの封じ込めている。そう書くと、見たくなる人は多いでしょうね。

そして「二十歳の原点」(大森健次郎監督)。当時、ベストセラーになった高野悦子さんの日記の映画化である。この本は、今でも結構読み続けられているらしい。私的には、いまだに彼女が遭遇した学生運動というやつの空気は全くわからないし、当時、その時代にいた方々を尊敬もできないし、結局のところ、彼らは、今の迷走にある日本を作った戦犯であるとしか思えない部分があるのだ。そういう観点からも、原作も、この映画も、それほど私にとってはセンセーショナルなものではなかった。まあ、映画は作りからして少し変なところが多い印象だった。脚本に森谷司郎が絡んでいるからだと思う。主演の角ゆり子は、この後、「日本沈没」や先に書いた「しあわせ」などに出ていた。なかなか整った顔をした人だったが、印象が弱かったかもしれない。ただ、この映画の主役をやったということで今に残る女優さんである。そして、一旦消えた数年後に、神代辰巳のロマンポルノ「嗚呼!おんなたち 猥歌」に主演として内田裕也の相手をしていたのにはびっくりしたものである。

まあ、2浪中の暗い時代の記憶を辿っているのだが、映画館はどんな気分の時にも自分の棲み家だったことを確認している感じだ。6月から、東京の映画館も解放されると信じております。失った活力を映画館に取り返しに行くのが楽しみです。

次回は竹田かほりのお話です!

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