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名作映画を見直す【9】陽のあたる場所

1951年ジョージ・スティーヴンス監督。モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタース主演。1931年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化されたセオドア・ドライサーの小説『アメリカの悲劇』の再映画化。この小説に似ていると言われたのが、日本の石川達三「青春の蹉跌」。そういうことで、この映画を観て、神代辰巳監督「青春の蹉跌」に似ている話だと思った人は多いだろう。私は、そう言われてこの映画を観たが、似て非なものであった。

恵まれない家に生まれた青年(モンゴメリー・クリフト)が、ひょんなことから大金持ちの叔父と出会い、叔父が社長をしている水着生産の大企業で働くこととなる。ひょんなことから社員の女(シェリー・ウィンタース)と恋人になるが、会社では社員恋愛は禁止で公にはできない。これが、最後の悲劇の引き金の一つ。そして、一年後の伯父のパーティーで、エリザベス・テイラーに出会い。両者の間で恋が生まれ、二股関係ができる。そして、シェリーの子供ができ、エリザベスとは結婚の話に。モンゴメリーはシェリーをどうにかしたいと思い、流れで死に追いやる。裁判所の審判が死刑とくだるが、最後の時にエリザベスが現れるという話。

題名は「陽のあたる場所(A Place in the Sun)」で、主人公の青年がそこに憧れたが故の悲劇という感じの題名だが、実際、彼にそれほどの野望が見えるわけではない。ただ、いい女に惹かれていく。そして、シェリー・ウィンタースとの方が自分と釣り合っていることもわかってる。でも、美人の金持ちに「好き」だと言われたら拒めなくなったということだ。

そう、別に男から、女を誘ったわけではない。パーティーで居場所がなく、ビリヤードをやっていた男を令嬢が見つけ、その少し、周囲にいる男と違う雰囲気に惚れてしまうという話である。この出会いのボールを見事にポケットの入れるシーンは、恋の引き金としてわかりやすいパワーがある。これ、本当に入れているよね?

その、令嬢役のエリザベス・テイラー、この時、19歳。まさに歴史に残る美女と言っていい。普通に、誰が観ても綺麗な華やかな女性だったのだろう。子役から俳優の道を歩み出していた彼女が、この歳でこの姿ということは、小さい頃から綺麗な娘であったのは予想に値する。彼女のアップに丁寧に紗がか毛てあるのを観ても、彼女の顔が重要なセールスポイントの映画なのだ。

この映画、アカデミー賞6部門受賞に輝いている。そして、モンゴメリー・クリフトとシェリー・ウィンタースはそれぞれ主演賞にノミネートされているが、エリザベスも名前はない。まだまだ、客寄せパンダ状態だったのか?

確かに、シェリー・ウィンターの演技があり、裏表のエリザベス・テイラーがそれを引き立てている映画だろう。だが、エリザベス・テイラーの若き姿を拝める映画としては重要な一本だ。水上スキーや水着で泳ぐシーンが出てくるが、運動神経は良さそうな、理想的な美女である。

そう、この湖でボートで遊ぶシーンは、後年の石原裕次郎の太陽族映画を思わせる。岸辺のトランジスタラジオから湖で遊ぶ若者たちを捉える画は、「狂った果実」を思い出させた。少しは、影響を与えているのではないか?そんな気がする。日活アクションにもこういう話は多々あるしね。貧富の差が起こす悲劇というのは、昔から今に至るまで映画的な情景である。

映画は、最後の30分、法廷映画に変わる。ここが、その前までの、モンゴメリー・クリフトの心理的なものを追う感じから、一気にテイストが変わり、少し勢いがなくなるのは映画としてどうなのだろうか?そう、野暮ったいのだ。話を死刑まで持っていき、最後に、エリザベス・テイラーが本当に好きだったことを告げてキスをするラストシーンまでが、どうも長すぎる。そして、シェリー・ウィンターを助けようとしたという話も、説明だけでなく、画としてもう少しなんとかできなかったのか?

話的には、この主役を後年「ジャイアンツ」でエリザベス・テイラーと共演するジェームズ・ディーンに演じさせても良い感じの映画である。モンゴメリー・クリフトの履歴を見ると、「エデンの東」の出演を断っているから、同列の男優とされていたのだろう。

映画を観た後に、ラストが印象的だが、しっくりこない映画ではある。

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