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ロマンポルノと対峙した日々(「あの頃、文芸坐で」外伝)【18】美保純に感じた最初のこと「愛獣 赤い唇」「女体育教師 跳んで開いて」「制服処女のいたみ」

1981年11月21日 高田馬場東映パラスで三本立て。この日は、「愛獣シリーズ」の最新作を観たくてここに行ったのだと思う。そして、美保純のデビュー作を観た日。考えれば、美保純という人が、40年も芸能界で生き残るとはこの時誰が思ったであろう。本人にしても不思議なのではないか?

「愛獣 赤い唇」(加藤彰監督)

泉じゅん主演の「愛獣シリーズ」4作目にして最終作。刑務所帰りの泉が過去の精算と復讐をするようなハードボイルド風のロマンポルノだったのは覚えている。だが、4作の中では最も印象が薄いのは、作品の出来が悪かったということはあるだろう。監督も3作目の黒沢直輔から加藤彰に代わり、代わり映えしないものになっていたと思う。「愛獣」は泉じゅんの唯一のシリーズ作であり、ロマンポルノで同じ女優で内容は全て違うが、アクションを含めた4作のシリーズ化はいたって珍しい。日活としても、アクションの残り香を拾おうとしていたのかもしれない。そして、このシリーズが、泉じゅんの「天使のはらわた 赤い淫画」への起用に結びついた気はする。そういう意味で、ロマンポルノ史の中で大切なシリーズだったと思う。

「女体育教師 跳んで開いて」(小原宏裕監督)

伴一彦脚本で小原宏裕監督ということは、まあ題名からもわかるがコメディである。この題名からすると、学園ものみたいに見えるが、舞台は社会人の新体操部の話。そこのエースが朝比奈順子ということである。最終的には新体操部が優勝する話だったらしいが、観客はそんなことよりも、朝比奈のレオタードと裸体を観に行くわけで、この手の作品は題名が全てである。だから、「女体育教師」という単語が使われているのだ。昨今、スポーツの性的な視線に関しては反社的な勢いで糾弾され始めているが、この40年前はアクションカメラブームもあり、女子スポーツ選手はその標的もいいところだった。まだまだ、ブルマーが正式に存在する時代だったものね。そう考えると、こういう作品は、時代を語る上では重要な作品になりつつあるのかもしれない。もちろん、そういう性的ビジネス目線に関しては今は「何やってんだよ」という感じですよ、もちろん。

「制服処女のいたみ」(渡辺護監督)

そして、この日は、この映画を観たことが大事なことなのであろう。上の写真にあるように、美保純は少し地味な女優として登場した。そして、にっかつがこの当時よくやったことだが、最初に買取りのピンク作品に出してから、にっかつ製作作品に出すという感じの女優だったのだ。つまり、まず試してみないとわからない素人だったということである。でも、私的にはこの作品はすごく印象に残っている。とにかく、彼女はWikipediaにも書いてあるが「ディスコクイーンコンテスト」で優勝したことがきっかけでスカウトされ、この作品に出ているのだ。静岡の田舎(今に比べたら、当時も東京とその他の土地の差はすごかった)から出てきて、ポルノ映画に出たなどと言ったら、普通の人は、「可哀想に」と思う時代である。ここは大事なところだ。東京の私の周囲でさえ、ポルノ映画を語る人など、かなり変わった人だった。そんな中での、彼女のデビュー作。まあ、騙されて犯される話なのだが、最後は全てが終わって、ディスコで踊るシーンなのであるが、この時の美保純の踊りと表情はすごく印象的だった。渡辺護監督はなんでも撮ってしまう職人だったが、まあ、安っぽいピンク映画で爽やかなラストも作れるんだと当時思ったことはよく覚えている。そして、美保純は多分そのおかげもあり?ロマンポルノのアイドル枠としてローテーションの中に入っていく。まあ、そこまでなら私も理解できたが、そのままメジャー路線に乗って、テレビに出るは、なぜか「男はつらいよ」のレギュラーまで勝ち取ってしまい、今に至るのだが、「運」とか「縁」以上に、持っているものがあったのでしょうな。今、普通に活躍しているロマンポルノ出身者の一人であるが、今考えても奇跡だと思う。でも、美保純の代わりができる女優もいないのは確かだったりするのですよね。そういえば、アイドルに相応しくない、いがらっぽい声は伊藤沙莉に似ている気はしますね。

まあ、この先「ピンクのカーテン」などについても書いていかなければいけないが、美保純を語るなら、このデビュー作を語らないと話にならないのだ。なんせ、全くの素人芝居から始まっていることもよくわかるし、最初の印象の強さもこの映画でよくわかる。そんなことが起きる不思議の場もまたロマンポルノという場だったということだ。

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