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名作映画を見直す【1】「ローマの休日」

騒動のせいで、少し時間ができた。あまり過去のことは書かないように思っていたのだが、「映画とは何か?」という思いもあり、古い映画をビデオで見直して感じたことを書くという所業を再開しようかなと思う。今回は主に洋画である。古典を中心に色々と探っていきたい。

そして、最初に選んだのが「ローマの休日」(1953)。映画ファンならその存在を知らないものはいないだろうし、オードリー・ヘップバーンのファンは今も多い。私もそのひとりである。この映画、多分最初に見たのは、テレビの洋画劇場だ。そして、何回かテレビの画面で見ている。多分、映画館で見たことはないと思う。そういう意味では、久々に集中して観た。

実によくまとまった映画である。話の筋を知っているのに、全てのシーンに無駄がなく見える。つまり、脚本として隙がない。この話の主人公のアン王女は、どこの国の王女だという説明がない。つまりヨーロッパの某国の王女がヨーロッパを訪ね歩いているという設定である。そう、設定からして、おとぎ噺なのである。だが、何回見ても面白い大人の映画として成立しているのを、今見てもすごいと感じる一編である。

それは、制作監督のウィリアム・ワイラーの技であるのは確かなのだが、誰もがそう思うように、当時、ハリウッドでは新人のオードリー・ヘップバーンのすごい存在感によるところが大きい。彼女は1929年生まれだから、当時24歳。決してポット出の女優ではなく、イギリスでの映画出演のあと、ブロードウェイの舞台を踏んでからの起用だから、演技の基本的なものはできていて、プラスアルファの俳優としての資質があったということだろう。それは今見ても理解できることである。

最初は、この役、エリザベステイラーに行くハズだったと聞くが、確かに王女様ではあるが、この無垢な雰囲気は出せなかったと思われる。

そして、彼女ばかりが前に出されるが、相手役のグレゴリー・ペックの存在も大きい。なんせ、王女様が一夜にして惚れてしまう男である。制作側としては、彼がスターとして客を呼べる存在だったから、相手役は新人のオードリーで進めたらしいが、それが化けたという映画である。そうは言っても、グレゴリー・ペック無くしてこの映画はないし、それこそ役柄相応の貧乏くさい男がやったら決して成功しなかっただろう。

そう、途中で彼女の髪を切る美容師もそうだが、王女の周囲にはべらせて醜いものを出していないのが、この映画の成功でもある。

そして、ローマロケを行ったということもまたこの映画を唯一無二のものにしている。撮影所もチネ・チッタを使ったというから、当時のハリウッド映画としては、結構革新的な作り方でもあったとは思う。結果的には、この映画がローマの名所を全世界に知らしめたと言っていいだろう。昨今は、スペイン階段でソフトクリームを食べるのは禁止になっているようだが、誰もがまねしたくなるシークエンスを作り上げている映画というのはやはり力がある。

長い髪を切ってショートになるところは、まさにスタイルブックを繰るような鮮やかさ。そう、オードリーはモノクロ画面の中でも、本当に完璧なモデルとして存在している。そういう彼女の佇まいが、王女のそれとして納得できるものであるから、映像が何十倍にも力を持つようになる。

そして、ギターを持って喧嘩に加わったり、その後着衣のまま水泳もこなす。そして、自分の仕事の意味合いもちゃんと理解し、料理も得意だと話す。そこには、完璧な人間像がある。そう、チャチな女性像と言われるものを数段超えているように感じられるのだ。

そんな完璧な王女がタバコを吸ったり、無免許でスクーターを動かしたり、警察に捕まったりと、そういう王女像を破壊しようとするシークエンスも実に自然な流れの中にある。

スクーターで走るシーンは、この映画の中で最も時間をかけて撮られたところらしいが、当時はスクリーンプロセスでこういうシーンを撮ることも多かっただろうと思うが、そんな手抜きはなし。そして、そのスピード感を出すために工夫しているカット割に目がいく。ローマの街中で結構難しいと思われる撮影をしているが、当時のローマ市民はこれをどう見ていたのか?と考えるとちょっと楽しくなる。

でも、お風呂に入ってバスタオル巻いたシーンや、泳いだ後の濡れ鼠状態の色っぽいオードリーも出てくるし、彼女を新人としてお披露目しているような展示会的な映画でもありますよね。これだけの顔を見せれば、アカデミー賞の主演女優賞を獲ったということは当然という感じではあります。

途中、願いを木に書いて貼り付けられる壁の話が出てくるが、あまり覚えていなかった。彼女が静かに今を祈るシーンとして良いシーンだ。日本の絵馬の習慣みたいのが、こういうところにもあるのだなと思ったりもした。

とにかく、二人のキスシーンから、彼女が戻って記者会見するまでの流れが実に自然。記者会見の中で、ある記者が「欧州連邦」についての意見を聴いてくる。グレゴリー・ペックが新聞社に遅刻したときにもこの話は出てくるが、戦後すぐそういう話は出ていたということだ。それが成立しても、また脱退する国がいるわけで、難しい問題ですよね。今のウィルス問題でも、結局は個々の国で動くしかないわけで、ヨーロッパというところはそういう場所なんだなと思ったりもする、この質問でした。

そして、記者会見が終わり、最後にひとり会場を去るペックの姿のラストシーンもいい。とにかく、古臭いという人もいるかもしれないが、映画として隙や無駄がないので、リピートしても心地よくなる映画である。

こういうシンプルな話で、何度も見たくなるような傑作は、なかなか今では作られないでしょうね。でも、こういう古典の中に映画とはどうやったら人を感動させられるのか?というような答えがあるのは確か。

オードリー・ヘップバーンとこの映画は、永遠に語り継がれるだけの力を持っているという今回の感想です。この舞台のローマがまた多くの人で賑わう日が早く来ることをお祈りしております。


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