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「あの頃、文芸坐で」【74】私にとって黒澤明監督に、映画館で向き合うということ

1982年4月15日。文芸地下で、「椿三十郎」と「用心棒」を見る。久々に映画館で黒澤明を見る。多分、テアトル東京で「七人の侍」を観て以来だ。私は、黒澤明が好きだと言えるような映画ファンではない。だが、ビデオを含め、全作品は見ている。だから、どうしたということは後で書く

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まずはコラムから。「ポスター」や「スチール」が盗まれる話。当時は、とにかくインターネットのない時代。映画館にあるものが欲しくなる病気は確かにあった。そして、今みたいにチラシなどが映画を見なくても手に入る時代ではないし、それはそれで、一気にチラシを持っていく輩なども多くいた。広告消耗品であるはずのそれらが、ファンの横流し品になっていったということだ。転売屋はいつの日も存在する。そして、ここにも書いてあるように当時、文芸坐では、ポスターを1枚 100円で販売していた。私も結構買っていて、今でも持っている。なかなかこれは捨てられない。

そして、プログラム。文芸坐は「旅芸人の記録」の後、「未知との遭遇・特別編」と「時計じかけのオレンジ」の二本立て。ありそうで、あまり見かけなかったような二本立てだが、客を呼ぶ力はあったでしょうね。そして文芸地下は、「幸福」と「駅STASION 」のリクエスト二本立て。オールナイトで降旗監督の特集があるから、そこと引っ掛けた感じもしますが、そうなのでしょうな。ル・ピリエでは「イタリア映画傑作選」なるプログラムをやっている。この辺の映画、今のシネコンで300円くらいで公開できないのかね。そういう学校的な映画館が欲しいのですよね。

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それで、黒澤明だ。ロマンポルノとかを追っかけていた身としては、古い映画もB級映画と言われるものが好きで、皆が好きだというような映画はあまり好きではなかった。そして、黒澤よりも小津安二郎の方に私のリズム感があっていたように思う。そして、時代劇も特に好きでなかったのですよね。とはいえ、「七人の侍」は確かに面白かった。その周辺にある、この「椿三十郎」と「用心棒」を初めて見たのがこの日だった。まあ、面白かったよね。でも、黒澤というような冠がついてしまって、この映画は幸せだったのか?と思うところも多々ある。そう、エンターテインメントしての完成度がすごいので、そんな監督で見る映画にしてはいけない気がしたのだ。これに比べれば、つまらない「影武者」や「乱」などは黒澤の冠の下で見て語ればいいのだろうが、それも好きではない。ということで、黒澤明の映画って、ちょっとその冠の重さが嫌なんですよね。

そんなこと考えなければ、「椿三十郎」も「用心棒」もめちゃくちゃ面白かったですよ。まあ、日本映画史にとって黒澤明は語らなければいけない監督になってしまったことが不幸な気もしたりするんですよ。今じゃ、息子がバカで、二本立て上映ができないとか?本当に、そんな偏屈なブランドいらないんですよ、本当に。

そんなこと言って、ビデオで見たものも含めて、私は、全作品見ているわけですが、やはり、この辺のものは映画館で見るべきもので、そういうこと言い出すと、面倒臭いですよね。そういう意味で、黒澤明の話って、あまりしたくなかったりする偏屈な私なのです。映画論的な話なら、欠かすことのできない監督なのはわかりますが、なんか、完璧を目指すっていうのは、穿ってみると、必要なノイズを消してしまっているようにも見えるんですよね。そういう意味では、黒澤映画の最も大きなノイズは三船敏郎なのかもしれません。三船をどう料理するか?というのが黒澤の命題だったりもしたのでしょう。とはいえ、黒澤は日本映画の古典としてさらに輝くか否か?この時代にまた、考えさせられている感じも最近するんですよ。そういう視点から、黒澤を批判するか?といえば、それも時間の無駄ですし、そんなことしてるなら新しい映画を自分で撮った方がいいと思うしね。

映画館で黒澤を見ることは、私にとっては最近は面倒臭いことであり、多分、死ぬまで、あえてそうすることはないと思います。IMAXで「七人の侍」がかかれば見にいくかもしれませんが…。

そういう意味では、この日、黒澤を映画館で見たことがあったという記憶です。

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