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「あの頃、文芸坐で」【19】反戦映画3本「ガラスのうさぎ」「真空地帯」「また逢う日まで」

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このチラシは2枚持っている。文芸地下の「社会を告発する!PARTⅢ」で、ここには書いていないが「ピカドン」「ふたりのイーダ」「ガラスのうさぎ」の三本立てと「真空地帯」「また逢う日まで」の二本立てを観たのだ。

そして、当時の観賞リストを見ると、この二回の間の8月19日に新宿の朝日生命ホールで東陽一監督の「四季・奈津子」の試写会を観ているが、この時の記憶は結構残っている。映画の記憶があるのはともかく、この日、家に帰ってから、ホールの近く、新宿西口のバスターミナルで「バス放火事件」があったことを知った。多分、私が映画を観終わって新宿駅を出たすぐ後で起こった状況だった。(この事件は後日、恩地日出夫監督が「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」として映画化している。)自分がバスに乗る予定があったわけではないが、凄い怖かった思い出がある。昨今の日本の状況を見ると、こういう事件がまた起こるような雰囲気もある。そういう面でも気をつけましょう!

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まず、コラムは「あしたのジョー」とかいうタイトルだが、当時の自主映画界の新鋭、石井聰亙(現:岳龍)監督の「狂い咲きサンダーロード」に関して。ここに書いてある感想は、私の初見の感想そのものでもあった。荒く、粗野だがパワーだけでつなぎ合わせたフィルムは、素人が作った異空間を見事に疾走し、ラストはちゃんと印象的に魅せてくる。ある意味、我々世代の作った、象徴的な一本だ。最近デジタルリマスター作品が発売されているのは聴いているが、是非、大きな劇場の大画面で再度見たい一本である。そして、今は亡き、山田辰夫の姿を思い出した次第であります。

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そして、プログラム。文芸坐ではポーランド映画の後はNEW MUSICALとして「ジーザス・クライスト・スーパースター」と「ウィズ」。「ジーザスクライスト〜」の方は、公開当時、テレビ、ラジオからやたらメインテーマが流れて、耳についた記憶がある。ミュージカル映画がヒットする要因は、音楽で客を惹かないとなかなか難しいところがありますよね。

そして、文芸地下では、「金田一耕助・全員集合」と題して、全て違う金田一耕助というプログラム。この頃、横溝正史ブームが一段落して、各社が様々な金田一を出し尽くしたという時期ですね。でも、片岡千恵蔵がラインナップに入っていないのは不満ですな。

オールナイト「日本映画監督大事典」は五社英雄。しかし、時は「鬼龍院華子の生涯」を撮って、最後のムーブメントを起こす前っていうことで、こんなプログラムなのですね。実際、私も、「鬼龍院〜」を観てから好きになったというか、認識した監督ですね。

そして、文芸地下ナイトロードショーで横山博人監督の「純」を公開しています。私は、後に文芸地下で名画座価格で観た記憶です。当時、ミニシアターでの単館ロードショーなど、あまりなかった時代、この映画館はそういうこともやっていたのですよね…。

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もちろん、私には戦争体験はない。しかし、親は二人ともその時代を通り抜けた世代。そういう意味では、子供の頃には、戦争の歴史はちゃんとテレビでも流されていたし、歴史を改竄してまで日本を正当化するものもいなかった。もちろん、右翼はいたし、共産党は今よりずっと左翼だった。そんな中でも、自衛隊に注ぎ込まれるお金は問題になっていた。もちろん、アメリカ隷属国家であったことに変わりはないが、憲法に意義をするものは少数派だったと思う。だが、政治家がこんなに馬鹿だとわかる時代ではなかった。

そんな中で、戦争映画というものを日本の歴史を学ぶように観ていたのも事実だ。フィクションであれ、そこには経験者でしか描けないものがあった。だから、文芸地下で毎年行われた「社会を告発する」特集にはいつも注目していた気がする。そのプログラムには東宝の8.15シリーズのような戦争をある面で英雄化しているような作品は除いて、反戦をテーマにしていた映画が集まっていた感じだった。プログラムを組む側の気概を感じた。

そして、ここで観た映画が5本。その中でアニメの「ピカドン」は記憶が少しあるが、ほぼ全体像を覚えていない。そして松山善三監督の「ふたりのイーダ」も、映画としてのそれをほぼ覚えていない。ということでここでは省かせていただく。

この日は「ガラスのうさぎ」(橘祐典監督)をメインに観に行ったと思う。当時は天才子役的な位置だった、蛯名由起子主演ということもあった。作品は、予想以上によくできていたという思い。両国のガラス工場の娘である原作者が、東京大空襲と爆撃などで家族を全て失い一人になってしまう話である。特に、空襲の後、列車を待つ駅で父親(長門裕之)が敵機に撃たれて、蛯名が一人になってしまうところは涙を誘う。そして、エンディングテーマは、今は右傾化しているとしか思えない武田鉄矢の海援隊が歌う「肩より低く頭を垂れて」。なかなかいい歌なので、今も覚えている。そして、蛯名の笑顔のアップで、未来を語るように映画は終わる。当時、小学生によく読まれた児童文学だったと思うが、最近はどうなのだろうか?戦争の記憶を残すために書かれたこういう話が風化するのはあまりにも悲しいと思う。再度、残す努力をする時期にある。

そして、別の日、まずは「真空地帯」(山本薩夫監督)。。木村功が服役帰りの一等兵。上司に逆らう姿を見事に演じ切る一作。真空地帯とは軍隊のことである。とにかく、軍隊を知っているものたちが、対戦時の軍隊を再現する。映画が作られたのが1952年だから、敗戦から7年。特に印象的なのは、木村の上官となる佐野浅夫の、容赦ないビンタの映像。私も小学校の教師が容赦無く子供にビンタするのを観ている世代だが、ここに出てくるそれは、プロのビンタ。目一杯の力で人を倒し壊す。まさに、自由も自我もない真空地帯がここにある。白黒スタンダードに収められた、その軍隊シーンは今見てもゾッとするものだと思う。これが、日本の反戦映画か!と強く印象に残ったものである。

そして、上の写真にある「ガラス越しの接吻」で有名な「また逢う日まで」(今井正監督)である。戦中の岡田英次と久我美子の恋愛物語である。あの有名な「君の名は」と同様に、電話もまともにない戦中のすれ違いドラマは、現代に見るとかなり、お馬鹿に見える。これを見た当時、携帯などというものがない生活をしていた私がそう思ったのだから、この状況で本当に感動できる世代はかなり限られていると思える。ただ、久我美子が画家であり、彼女が仕事として戦意高揚のポスターを描いているのは、リアルな感じがあり、芸術までもが戦争に使われる虚しさを伝えている映画だ。だが、そんな中でも、この二人は、映画の中で抱擁し、キスもする。まあ、「産めよ育てよ」の時代でもあり、そこにしか男女間の楽しみがなかったのも事実な感じはよく伝わる映画にもなっている。ラストシーン、ただ待つのみの久我美子は哀れすぎる。そういう点では、今見ても、反戦映画としては通じるが、スマフォですぐに繋がることができる、今の若者たちに見せると、どんな印象を持つのだろうか?そして、この映画を見せて、戦争を語れる人は本当に少なくなってきている気もする。上の写真のそのシーンも「なんで、直接しないの?」「感染症が流行っていたの?」という答えを聴くのが怖い私であります。

とにかく、戦後、日本で作られてきた戦争映画、反戦映画は今も存在しているのだ。これが、今の新しい世代に向けての反戦教育に役にたっていないことには憤りがある。毎年、敗戦の日がめぐる度に、「反戦映画特集」をやる、気概のある映画館があるような日本でありたいと思うのですが…?


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