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ロマンポルノと対峙した日々(「あの頃、文芸坐で」外伝)【5】傑作との対峙。男と女の交差点での暴発「狂った果実」「ANO・ANO 女子大生の基礎知識」

1981年4月26日、「池袋北口にっかつ(現シネロマン池袋)」に初めて入る。ロビーにあった(今もあるの?)小川亜佐美嬢を書いた大きな絵画が飾られていた劇場だ。にっかつは、この頃、東京で新規にここと新宿に新しい直営館を出した。そして、両方ともこの後よく通うことになる。ロマンポルノが上映されている小屋としてはとても綺麗な雰囲気の映画館だった。とはいえ、場内禁煙は形だけ。紫煙が黙々とスクリーンの前に漂っていたのは他の成人映画館と変わりなかった。

何故に、封切りに飛び込んだかといえば、この2本の映画が観たかったからだ。アリスのヒット曲「狂った果実」をモチーフにした映画を、根岸吉太郎監督が撮る。それも、主演は本間優二。道具は揃った。そして「にっかつ」で、この題名で撮るからには覚悟があるだろうと思ったのだ。あの、中平康の傑作にどこまで迫れるか?様々な憶測があった。

そしてもう一本は、GOROの激写が目に焼き付いていた青地公美主演の「ANO・ANO」当時はまだオールナイトフジでの女子大生ブームは来ていない。いわゆる「アンノン族」と呼ばれた娘たちを主人公にする原作の映画化である。

ということで、この2本を封切りで観たわけだ。

「狂った果実」(根岸吉太郎監督)

ファーストシーンも、ラストシーンも同じジョギングシーン。昼はガソリンスタンド、夜はぼったくりバーで働く本間優二。バーのオーナーの益富信孝とその妻の永島瑛子に可愛がられ、それなりに楽しく生きていた。そんな生活の中に、飛び込んでくるブルジョア女(蜷川有紀)。身体を重ね、金持ちの人脈が本間に襲ってくる。ぼったくりバーで散々に痛めつけらる本間。蜷川の歪んだ愛情ごっこと、本間の復讐劇が交錯し、ラストの傷害事件に繋がる。

この作品、観た当時、「何が面白いのだ?」という人も多かった。時は高度成長期がひと段落、大学はどこもレジャーランドと化していた時、本間優二の貧乏で真っ直ぐなアウトローみたいな人種は少なかったということもあるだろう。人生の歪みを感じていない若者には、馬鹿な映画と思われたのだろう。ただ、私には強くシンクロしてきた。本間優二の主人公に見事に同化してしまった。蜷川有紀の、本音をはかずにつきまとう女にも、感じさせられるものがあった。蜷川は現、猪瀬直樹夫人のあの蜷川有紀である。

ロマンポルノとしては85分の映画、蜷川と関係を持つ父親役で岡田英次が出ていたりもする。当時の若者たちの貧富の差みたいなものを描きながらも、そこにあるのは、未来が見えない青春像。自分も、チャラチャラしている若者文化を嫌っていたから同化できたというのもあるだろうが、今観ても、好きな1本である。

「ANO・ANO女子大生の基礎知識 」(小原宏裕監督)

にっかつは、このGWやお盆、正月などに、いつもの3本立てでなく、2本立ての大作を流すのが慣例となる。一時は、一般映画で勝負していたが、他社には敵わないために「エロス大作」という名前で、女優や監督で特化した映画を撮るルーティーンができてくる。ただ、この二本立てをそういう名目では売っていなかった気がする。

企画は「桃尻娘」の二匹目のどじょうだ。だから、主演は竹田かほりと同じように雑誌GOROで紀信激写に登場していた、青地公美(現、哀川翔夫人)である。娘さんの福地桃子さんは、当時の彼女を少し幼くした感じで雰囲気はよく似ている。

共演は、太田あや子と森村陽子と、女子大生のできそうな女優たち。共演が小林稔侍や、まだ無名時代の田山涼成など。そう、この映画も少しお金がかかっているのは俳優だったりもする。話は、女子大生の処女喪失話で、桃尻娘と同じように、当時のホモねたも入ってくる。考えれば、当時の女子大生は完全な男社会の中で、言いたいことを言い、やりたいことをやってビジネスが成立していたということである。それの引き金が雑誌「アンアン」と「nonno」だったということ。今の人にはよく理解できないでしょうね。そして、この映画を観てもよくわからないと思う。映画としては、特に面白くもなく、青地公美のヌードが観られるというだけの映画であります。

でも、この日の「池袋北口にっかつ」の風景はよく覚えている。ここに初めて入ったということもあるが、「狂った果実」を観た印象が大きいのだろう。映画の興奮は、その周囲の記憶まで鮮やかに脳裏に焼き付けるものだ。

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