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万国博覧会を開催するという勢いのなさ。シンボルマークに何を思えというのだろう。

昨日のニュース。2025年で開催予定の大阪・関西万国博覧会のロゴマークが決定したという。

一目見て、私は「センスないなと思った」。あの、パクリ疑惑で、ないことになった東京オリンピックのロゴに比較しても「なんで?」と思ったのだ。TwitterのTLには、もう、みんなにいじられるロゴマークがいっぱい。そういう意味では、宣伝になっているのだが、「万博楽しみ!」という感じのツイートはほぼなかった。

作り手はこのマークを「いのちの輝き」だというが、全くわからない。岡本太郎に対抗しようとした?何人かの方が、太陽の塔の内部を思い出したというが、そうだろうか?私は、当時、小学生で太陽の塔に入った記憶を明確に覚えている。こんな、モヤモヤした感じではなく、もっと尖った感じの歴史観を感じた。

当時、私は「万博」というものに本当に興味を持って、親をくどき落として無理やり大阪に観にいかせてもらった。記憶の中は、暑かったが、今のような酷暑ではなかったと思う。真夏の会場で、人混みの中、パビリオンに入るのに、何度も並んだのだから。パビリオンの様々な形状、デザイン、色彩豊かな会場は、本当に未来に向かっての思いを高めるばかりだった。お祭り広場を突き抜けるように立つ太陽の塔の優雅な曲線にただただ、異次元を感じ、その記憶は今も消えないものになった。

そして、その時の桜を象ったシンボルマークも、私の美的感覚の基準としてある。あのマークは、日本そのものをアピールするにあまりあるデザインだった気はする。

そして、2025年の万博は何をテーマにするのか?5年後には、なんとかコロナもどうにか社会の恐怖ではなくなっている気はするが、だからその先に何を求めるのか?そして、何を訴えようというのか?世界からお客様を迎え日本の何を観てもらうというのか?

前回の高度成長期の中で、日本が世界で認められようとするような心持ちはない。まあ、信用回復的なものはあるのだろうが…。あくまでも、今年開催が延期になった状態で宙ぶらりんになっているオリンピックと同じで、ビジネスとしての開催でしかないのだ。日本人が、皆で喜ぶような万博にならないことは、愛知でやった万博を振り返ってもわかる。「是が非でも観にいこう!」という人は、今の段階でほぼいないだろう。

だからこそ、ロゴマークは、すごい大事なものだ。今度の万博のブランディングの中心になるのだから。他の4つの候補と比べても、私にこの不調和なマークを選ぶという感性はない。そして、このマークから生命も輝きも感じない。そして、柔らかすぎるし、妖怪のようにもみえ、夜の街では怖がる人もいるのではないか?まあ、感染症退散の意味があるというなら、納得しないでもない。(いや、それもダメか?)

とにかく、ほとんどの人に意味不明なロゴはダメなのだと思う。大阪は、トップの下品さが目立つだけの自治体になっている感じにも見える。まあ、その地にいる人々の、生きる力はすごいものがあるだとは思うが、その熱さが政治に反映されないように見えるのは理解がし難い。

ロゴマークの発表も良いが、もっと万博を開くグランドデザインを早く、見せていただきたいと思う。そこに、「人類の進歩と調和」を感じられないなら、やはり無駄なイベントになりそうではある。そう、この前回のテーマは冷戦下では様々な意味を持っていたような気がする。そんな、人々が様々に感じるテーマを示してくれることを望んでいる人は少なくないと思う。

しかし、万博をやるような気にならないですよね…。

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