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「あの頃、文芸坐で」【37】長嶺高文監督の世界。アナログ時代の魔境。「歌姫魔界をゆく」「喜談 南海変化玉」

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この日はル・ピリエで映画を観る。長嶺高文監督の当時話題の2本を観る。長嶺監督が60歳でお亡くなりになって、もう6年。世の中は、この名前を知らない人が多いだろう。(生きていても知らない人が多いだろうけど)。私はこの日、彼の映画を観て、その映像感覚に魅了される。

私が受け付けない大林宣彦監督のメジャーデビュー作「HOUSE」のような映画という印象はあったが、こちらは、私の感性にはぴったりハマった感じ。アニメを交えながら、独特のファンタジー世界を構築する。ある時は美しく、ある時はグロという独特の世界は、結果的にはそれほど広がらずに終わった感じはするが、デジタル時代の今観ても、その映像の波動に共鳴する方は多いのではないかと思う。

まずは、1978年発表の彼のデビュー作「喜談 南海變化玉」。当時の自主映画にしては金がかかっている。檀ふみや、当時はまだまだ駆け出しの大竹まことなども出ている。この映画、気球を作って飛ばすというファンタジー映画が、それに伴った事故をきっかけに、グロな殺人映画に転換する作品。そんな、流れは覚えているのだが、全体的には間延びがした感じで、個人的にはあまり面白くはなかった。ただ、この監督、変わっているというのはわかる映画だった印象。主演の壇ふみの印象が全く残っていない。もう一度、見直したい気はする。

そして、この日のメインは「歌姫魔界をゆく」の方だった。時代は、ちょうどこの映画を観た直後にピンクレディーが解散コンサートを後楽園球場で開いているころ。そして、前年には松田聖子がデビューし、アイドル全盛時代に突入!この時代の触感って、今のアイドルおたくにも、全くわからないだろうなと思う。そして、この映画がそのパロディーみたいなものだということも…。

なんで、そんな話をするかというと、この映画が、栗田よう子と藤原清世のピンクレディーのようなアイドル2人組の話だからだ。キャンペーン中の彼女たちが魔界に紛れ込んで、人食いの家に迷い込む話。魔界の女主人みたいな役に、亀渕友香を配し、恐竜は出てくるし、血はいっぱいでるし、スプラッタなアイドル映画である。上映時間70分、魔界に入ってからノンストップな感じで楽しめた記憶がある。そして、流れる曲はヒカシュー「20世紀の終わりに」。この曲を聴くとこの映画を思い出すのは事実。時はテクノポップ全盛期。この後に、バブルが来て、世紀末には、日本国が止まってしまうなんて誰も知らなかった時代に作られた、奇作である。とはいえ、こういう作品って宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいなブラックの中にあるわけで、今作っても面白いと思うのですよね。

主演の二人がアイドルとして、とてもキュートな演技だったのも映画を華やかにし、魔界を出た後に、彼女たちが歌手として大成功するという設定は、やはり、まだまだ世の中が前に向かっていると思っているからだったと思う。

これを観た、文芸坐ル・ピリエという空間は、地下の倉庫を改造したような舞台で大きな柱が二つあり、黒い不思議な空間だった。そういう意味では、文芸坐の魔界。そこで鑑賞して、外の池袋の不穏な世界に融け込んだ日を想起すると、そのリアルな世界も魔界だったことに気づく現在である。

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