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「あの頃、文芸坐で」【79】藤田敏八監督特集2「八月の濡れた砂」と秋吉久美子3部作

1982年5月29日、藤田敏八特集のオールナイトの2回目を見に行く。この日は、「八月の濡れた砂」を劇場で見たかったと言うこと。秋吉久美子三部作の再見、そして、見たかった「炎の肖像」が見ることができると言うのが目的で夜のスクリーンに、向かったと思う。

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まずは、コラム。映画、「レッズ」の話。当時、私は結構この映画が好きであった。今、ロシアが、世界の中で狂気を放っているわけだが、そんな時だからこそもう一度みたい。そして、今だからこそ、各国のロシア絡みの映画やロシア映画を特集上映してほしいような気がする。反戦映画の特集でもいいですよね。「午前十時の映画祭」に「レッズ」の追加とかできないですかね?最近は、シネコンもミニシアターもそういう連動企画をやるような社会性がすこぶるなくなったと思う。映画は娯楽であるが、プロパガンダにも使えるし、それに対抗する意見発信にも使えるわけだ。そう、この「ロシアの狂気」に対して映画が何もできないわけはないのだ。まあ「ひまわり」にはフォーカスが当たっているようですが、…。

プログラム。文芸坐は「木靴の樹」と「ブリキの太鼓」の後はビートルズ特集。その中に、リンゴ・スター主演の「おかしなおかしな石器人」が入ってるのが面白い。相手役はバーバラ・バックでしたね。こういうの配信で流してほしいですよね。文芸地下は、「モスクワは涙を信じない」と「泥の河」の後はフィルムフェスティバル。話をロシアに戻せば、この「モスクワは涙を流さない」最近、とても見たい。ロシア映画配信お願いしますよ。オールナイトは藤田敏八のあとは松本俊夫と村野鐵太郎。渋い選択ですけど、オールナイトはこう言うので客を呼べたんですよね。ル・ピリエでは、「ゴッド・スピード・ユーBLACK EMPEROR 」などかかってますが、これ、アマプラで見られます。70年代の若者の心根みたいなものがよく出てる映画だと思います。お暇の方は是非!

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そしてこの日のオールナイト5本について

「八月の濡れた砂」
日活アクション、最後の映画として映画史に残る一作。確かにラストシーンの、どこに行くかわからないヨットには、若者の見えない未来と共に、映画界の見えない未来が見え隠れする感じはする。とはいえ、この映画を劇場で封切りで見た人ってどのくらいの数いたのでしょうか?「閉店セール」みたいに客が入っていたとは思えないのですが、あまり文献には出てこないのですよね。で、私はこの映画をテレビでは見ていた。だから、劇場で見るのはこの日初めて。そして、この映画は、私にとっては、あくまでもテレサ野田だ。これがデビュー作。1971年と言う年は、南沙織とテレサ野田という長い髪の少女、二人のデビューした年だということは、とても思春期前夜の私には重要なことだった。そして、テレサに関してはその後、NHK少年ドラマシリーズで印象付けられるわけで、それを見た後でこの映画を見たわけで、まあ、その裸体はいまだに忘れられないというところ。しかし、こういう雰囲気の女優さんって最近いないですよね。

「赤ちょうちん」
スクリーン、2度目。秋吉久美子も長い髪の少女だったが、テレサ野田とは、はっきりテイストが違ったし、乳房の主張が強かったのも違った。今考えれば、なぜに、秋吉久美子に藤田敏八だったのか?というところはある。日活がこの楽曲の映画化権をとったことで青春映画を撮ろうとして、日活出身の彼に白羽の矢が飛んだのだとは思う。そして、四畳半映画にはヌードが必要(当時の常識)。そして、なるべく金のかからない女優(ロマンポルノ作ってた会社がスターは使えない)という感じなのだとは思うが、そういう奇跡的な縁でこの映画は成立している。まあ、秋吉が最後に狂ってしまうというのは、青春が報われない季節だったということなのだろう

「妹」
「赤ちょうちん」が同棲時代映画ならば、こちらは出戻りの妹の話。当時の早稲田界隈の風景が懐かしい。そして当時の原宿なども出てくる。東京という街はこの頃から変化が若者に委ねられていった感じはする。そんな風景の中に、秋吉と林隆三が住む、食堂跡の雰囲気がとても良い。秋吉が林の面前で裸になってるところと、ひし美ゆり子が引っ越し代を身体で払うところが強烈に印象に残っている。最後は、出家したのか?という行方不明になる秋吉。映画の中の不思議感が彼女のイメージにつながったというところはあるのでしょうね。

「バージンブルース」
この映画は、劇場では初見。なぜにこの映画が作られたのかは良くわかりませんが、秋吉でもう一本と思ったのでしょうね。かぐや姫の歌で、ということは考えなかったのでしょうかね?「22才の別れ」とかやってもよかったのではないかと、今も思うのですよね。それが野坂昭如の曲の三作目。まあ、今は亡き新宿の都電跡とか、懐かしい風景がなかなか興味深いのですが、映画としては、前2作にしたらイマイチ。でも、最後、海を泳いでいく秋吉久美子という流れは藤田敏八映画らしかったです。

「炎の肖像」
1974年のジュリー主演の映画。加藤彰と共同監督作品になっている。1973年に「危険なふたり」がヒット、1975年には伊藤エミと結婚しているという時期の映画。後半はライブシーンがあり、井上堯之バンドの演奏などは貴重な映像だ。ただ、映画自体はロック歌手の役で自伝的?なものを作りたかったのかどうかは知らないが、散漫な雰囲気の映画だったと記憶する。ライブシーンだけが記憶に残っている。ぜひ、もう一度見直したい作品でもある。ジュリーの単独主演映画はこれが最初なわけで、そういう意味でも重要な作品ではあるのですよね。ただ、藤田監督の作品として前に出てくることはあまりない一作ですな。

そんなこんなで、藤田敏八監督の映画に関しては、明確に記憶があるものが多く、それだけ、私の映画感覚を刺激したことは確かですよね。それは、黒澤明なんかより、数倍上だったりします。青春時代に何を見るかは重要で、そこで見た映画群が今も輝いているということです。そして、映画という装置は、いつ、どういう形で見たかということも重要なことなのです。


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